貫く
所用で札幌に帰ってきました。用事のひとつが散髪でした。この15年間ほど、札幌の自宅のご近所の理容店で散髪しています。ご家族3人で経営されているのですが、最初の頃はご主人が、最近では息子さんのKenさんが主に応対してくださいます。この間、一度も他のお店で散髪したことはありません。普段の生活の中心は大阪ですから、大阪で散髪してもよいのではないか、というご意見も耳にしますが、こればかりは・・・。そこのカッティングが気に入っているから、ということが理由ではありません。ご近所が故の馴染みと言うべきでしょうか。きっとこれからもKen Styleを貫いていくことでしょう。
貫くということではラーメンもそうです。函館に行くと決まって「星龍軒」の塩ラーメンですが、札幌で貫いているのは味噌ラーメンです。しばらく他をいただいたこともありますが、今は味噌以外に手を出すことはありません。いろんなお店を訪ねても、必ず味噌ラーメンです。その時々の体調や時間的都合、あるいは一緒に行く人たちの状況などでお店を選びますが、札幌である以上、私は味噌です。美味しいと思えたラーメン屋さんならば回数は増えますが、叉焼がまずいお店には二度と行くことはありません。特に最初からお世話になっている「おきもと」の味はおふくろのお味噌汁的存在です。今回はおきもとにお邪魔することはできませんでしたが、4日、大阪に向かう時、千歳空港で誘われるようにラーメン店に入りました。
函館の北にある大沼国定公園にそびえる駒ヶ岳の北西側に森町という、烏賊飯で有名な町があります。ここに「次郎長」というラーメン屋さんがあるそうです。千歳空港にもお店を出しています。ここの野菜味噌ラーメンがお気に入りです。千歳空港には行列のできるお店もありますが、私は次郎長の野菜味噌ラーメンにこだわり続けています。もう5回ほど伺っていますが、飽きません。いつか、森町の次郎長本店に行ってみようと思っています。
貫く。人生の中で最も難しいことは自分自身に正直でいることを貫き通すということだろうと思います。他者が気になるとなかなか自分の価値観や行動を大切にすることはできません。非難されても自分に正直であることに挑戦してみる。やれたらいいですね。
コメント (23)
おはようございます。今日は消化管と姿勢について考えてみたいと思います。「食べてねると牛になる。」本当でしょうか?それは嘘だと思っていましたので食事後30分は安静にしてくださいと言うのが1989年当時の横になってもいいというのが常識だったと思います。僕はそれに疑問を持ち、文献を探してみました。そうすると京大浅田論文に体位変換に伴うインスリン分泌反応の相違があり、食後座位が好ましい体位である。そうです昔の格言は当たっていたわけです。それ以降、食後横にならないで座るよう指導しています。現在では食後寝ないで座位を取るのが常識になっています。それは嚥下や胃の問題でもそうですよね。ではそろそろ出勤ですので。
いい話が聞け、またやる気が出てきました。ありがとうございます。最後に経験のあるPTがさもよさそうに感じておられるんでしたら訂正します。吉尾先生の言うように若手でも素晴らしい人がいることを付け加えておきます。かくいう僕も後輩のやっている仕事を参考にさせてもらっている一人です。一人の力は限界があります。いろんな人の話を偏見を持たず聞き、いいところを吸収させてもらっています。何事も中庸の精神で偏見を持たずそれがたとえエビデンスに基づいていなくてもです。それではそろそろ寝ます。おやすみなさい。
箕面のNさん、そしてaisakuさん、こんばんは。この場を盛り上げていただき、ありがとうございます。
もっともっと皆さんが活動的であって欲しいですね。学生もSVも学校の教員も。もちろん私たち臨床家も。
語り合うということはいいことですし、自分をぶつけてみるというのも素晴らしいことです。
積極的に関わり合うと何かが生まれていくでしょう。このブログのやりとりが正にそうです。
中には骨のある楽しい学生さんもいますよね。魅力的な若いSVだっていますよね。
そういう人は未熟ではあっても、自分をしっかり持とうとしている人たちのように思います。
いろいろあっても前向きに楽しもうとしています。
きっと、そういう人たちこそがリハビリテーション医療に携わる素敵なスタッフなのでしょうね。
箕面のNさん>若い人の特性の変化はこの業界だけではないですもんね。私も養成校の教員の方をたくさん知っていますが、なかなか養成校が音頭をとれないのもジレンマみたいです。
養成校がちょっとお願いすると、すぐに実習お断りされるという悪循環。
この業界自体が温かくも厳しくも卵を育てていけるようパラダイムシフトをしていかないといけないのかも知れません。
リハビリの名称に関しても、マスコミの影響が強いですよね。リハビリ=きつい、苦労ばかりなんてイメージもそうですし。しゃーないかもしれませんが、私達が現場で変えていければと思っています。
こんばんわ。aisakuさんの言われるよう実習指導者の質が落ちているのは同感です。確かにその手の研修会の出席が少ないのは事実です。協会に所属しないPTも増えているのも事実です。そして簡単な国家試験であることも事実です。そしてやはり実習生の鍛えがいのないこと。馬鹿でもいいからぶつかってくるような学生が減りました。こっちはボランティアで実習指導してるわけですから、もっとやる気を出してほしいと思っているんです。実習地任せの今の実習のありかたにも問題があります。と愚痴ばっかり言ってすみません。リハの話に戻るとしましょう。昔、リハビリテーションは社会復帰、ハビリテーションは療育と習い、それで略をリハと解釈していたわけです。ラテン語でなく英語から略を考えていたわけです。まさか英語の略がリハブだったとは知りませんでした。仕事場ではリハビリテーション室なのでリハビリテーションのNと電話応対しています。以前僕が就職するまではリハビリと言っていたのが助手さんたちも自然とリハビリテーションと言ってくれるようになりました。患者さんには理学療法士のNですと名乗っています。でもリハビリの先生と呼ばれてしまいます。しかたないほどリハビリの方が世の中には浸透してしまっているんですね。しゃーないですかね(苦笑)
おはようございます。
皆さんのコメントを見ながら、PCの前でうなずいています。
asukaさんが書かれている通りに、リハビリという用語の活用は他職種を巻き込んだ際や社会復帰まで考えた時に私もよく使用します。
紹介状などを書く際には理学療法と使い分けをしている程度です。この話は、呼吸リハビリテーションと呼吸理学療法という用語の隅わけの議論があったことと似ていますよね。そう考えると、広義と狭義で使い分けをするといいのかなと解釈していました。
箕面のNさんが書かれている学生の質に関してはよく話題に上がることですよね。その一方で実習指導者の質の低下にはあまりスポットが当たる機会が少ない気がしています。それは、県士会などで実習関係の研修に参加者が少ないことが物語っています。個人的には学生の質の低下よりも、指導者の力量不足のほうが大きな問題な気がしています。
吉尾先生のように後進育成にもエネルギーを注いでいかないと、この業界はどうなる事やらと危惧をしています。
さて、柳になれるようにウォーキングに行ってきます(笑)
おはようございます。英語での略が「rehab.」だったとは知りませんでした。自分の知識のなさを露呈してしまい申し訳ありません。僕も理学療法士になれたことをうれしく思いますし、何よりこの仕事が好きだからです。最近回復期から帰ってこられた発症6か月の片麻痺患者様がおられ左肩の痛みが強い!ほかもいろいろとにかく何をしていたのかと思うぐらいです。13単位制があるので困ったもんだと思いましたが、1回で肩の痛みが改善し2回で夜間痛が消失しました。これで医師と相談し、コメントを書き13単位以上することにしました。吉尾先生の言われるようとにかく評価ができないPTの多いことに愕然とすることが多い今日この頃です。学生のレベル低下が著しいのも気になります。今後のPTの行く末を案じています。僕たちの頃は文献・情報は少なかったですが恵まれていたことも事実です。学生の頃20人クラスでしたし、卒後も今ご活躍されている先生方と直接教えてもらったり、意見を交換できたことです。奈良先生、吉尾先生、千住先生、今井先生、紀伊先生、古沢先生、博田先生、宇都宮先生、賀来先生、名前をあげたらきりがないですね。恵まれていたと感謝しています。すこしでもお教えを役立たせたいと思います。論文には発表していませんがPTと胃に目をつけたのはぼくが最初だったんじゃないかと思います。お蔵入りしちゃいましたが文献を集め兵庫県士会で発表する予定でした。またその時のことをおいおい書きます。話は飛びますが僕は何といってもラーメンは豚骨派です。じゃあ歩きに行きます。
asukaさん、おはようございます。ちょうどいいタイミングでコメントを拝見できました。
いばしばいただいているasukaさんのコメントを拝見していますと、リハビリテーションと理学療法とは区別していらっしゃることは察することができます。
箕面のNさんがリハビリテーションを「リハビリ」ではなく「リハ」と略すのがよいということでしたが、恐らく箕面のNさんにも確たる理由はないと思っています。つまり、個々の感覚によるものだろうと受け止め、コメントは避けました。
言語は大切にしなければならないと思います。リハビリテーションは英語。つまり元来日本の文化を持ったことばではありません。それを略して用いるとき、元来の意味を考えながら略すか、本家本元でどのように略して用いられるか、などを考えるべきでしょうね。
ちなみに、rehabilitationを略す場合、英語では「rehab.」になります。カタカナで書くと「リハブ」になります。日本人にはこの略は嫌なイメージですね。
であれば、論文中の略も用いずに、常に「リハビリテーション」とした方がよいように思います。
おはようございます。
箕面のNさん、私が安易にリハビリと使用してしまいすみません。
rehabilitationの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)と覚えていたので、
リハビリと略して使用していました。
リハと略すのにはどのような由来があるのでしょうか?
教えて頂けると幸いです(^^)
私は理学療法士ですが、関連職種に作業療法士、言語聴覚士又はリハビリテーション医などがあり、
その方達とも共有できる内容の場合にリハビリを使用していました。
自分の中で貫いていることは、しっかり言動、行動に表さないと伝わりにくいですね。
価値観の違い故でしょうか。
私も、aisakuさんのようにラーメンの写真にお腹が空いてきました(笑)
また、吉尾先生のように、理学療法士になって心底よかったと思っています。
でもまだまだ未熟なので、研鑽し続けたいと思います。
箕面のNさん、こんばんは。
コメントを拝見していつも思うのですが、箕面のNさんは正義感の強い方だなあ、と。
ことばを大切にしない、できない領域に発展は期待できない、と思っています。
理学療法界の現状を見ていますと、リハビリテーションとは程遠く、
身体的なことの一部に関わりながら、自らそれをリハビリテーションと表現しています。
社会がリハビリテーションは認知していても、理学療法士や理学療法を認知しておらず、
面倒だから理学療法という表現を自らしていない、ということもあるのでしょうが、
いつしかリハビリテーション医療の中核にいるという傲慢さが拍車をかけているように思います。
理学療法士になってよかった、と私は心底思っています。
この名称を大切にしたいですね。
aisakuさん、ラーメン食べすぎたら柳どころか、どっしりとした存在になりますよ。
一見柳のように見えて、実はしっかり貫いているような、そんな生き方もいいですね。
もしかしたら、aisakuさんはそのように生きてませんか?
こんばんわ。僕はリハビリという言葉が広まっていることにうれしくもあり、またいやになることもあります。リハビリテーションと正確にいうか略するならリハと言ってほしいですね。また、理学療法のことをリハビリと混同しているのも気になります。患者さんに説明するとき理学療法と言っても通じない。リハビリと言うとわかる。なぜこうなってしまったんでしょうね。吉尾先生はこの現状をどう考えられていますか?
こんにちは。
「貫く」ことはとても難しいですね。
このブログを読んで、「柳」のようになりたいと感じました。強い風が吹いても弱い風が吹いても上手くなびいてますが、しっかりとまっすぐ立っている。こんな感じになれたらいいなと思いますが、私はまだまだ風が吹いてらひっくり返っています。柳みたいになれるよう理学療法士として自己研鑽をしていくことと人間性を高めないと・・・先生やいろんな方からたくさんの肥料をもらいながら・・・
それにしても、ラーメンおいしそうです。おなかが空いてきました(笑)
チャーコさん、こんにちは。
いつもブログを読んでいただいて、ありがとうございます。
コメントもとても嬉しいです。
私の説明が不十分でしたね。 あの写真は次郎長の野菜味噌ラーメンです。
函館の星龍軒の塩ラーメンは格別です。
私が知る限り、星龍軒に勝る塩ラーメンはありません。
他のどれだけのお店の塩ラーメンを食べたんじゃい!と怒られそうですね。
こんにちは、吉尾先生のブログいつも読んでいます。函館の星龍軒の塩ラーメン写真で見ると美味しそうですよね。食べてみたいです。
福岡博多の天神の屋台で食べた博多一番ラーメンも美味しかったですよ。
人生の中で自分自身に正直でいること本当難しいものですよね。
asukaさん、おはようございます。
美的なもの、芸術的なものについては特にお店やグループとしてのコンセプトもありますが、カットする人自身にはそれぞれの感性や価値観があって、それらに大きく影響されるものでしょうね。
やはり人そのものに影響されているわけですね。
私は個人よりも地域、環境を考え、これまで15年間お世話になってきたその人たちへの思いでKen Styleを選んでいます。
これも価値観の微妙な違いですね。
おはようございます。
元々、家から比較的近くにあったお店だったのですが、
担当者が独立して県外に移動されたのです。
県外に移られた後、そのお店の他の人に対応して頂いたのですが、
なんだか違う感じで満足感が得られませんでした。
お店よりも、その人のファンだったのです。
同じ教育を受けた人でも、人の価値観はそれぞれですね。
そう考えると、価値観は影響される部分と独自の部分とありそうです。
どの価値観を貫くべきか、考えていきたいです。
asukaさん、こんばんは。
それはそれで興味深いですね。
県外の美容院をどのように見つけて、通うようになられたのですか?
もしかしたら、元々その美容院のお近くにお住まいでした?
それとも・・・?
箕面のNさん、こんばんは。コメント、ありがとうございます。
常に中庸の精神ですか。ある意味で凄いことですが、ときどき疲れませんか?
という私自身も中庸の精神でいるような気がするのですが、周りにはそう見えていないのかもしれません。
吉尾先生、ご返事ありがとうございます。
私の場合、散髪は好きなお店があるのですがあいにく県外のため、
そこの近くにに行くときに寄ることにしています。
だから、タイミングが合わず、そのお店を断念する場合もあります。
断念はしますが、そのお店のような満足度が得られる所を探しています。
そのお店は髪のカウンセリングの仕方が上手く、
それを元にカット、カラーなど行ってくれるので、出来映えがとてもよいのです。
リハビリにおいては、
研究で自分の価値観を貫き、結果を求めることが必要で、
臨床では患者さんを中心に様々な職種と連携が必要で、
より柔軟な思考能力が必要になりますね。
価値観を貫く事、柔軟な思考能力を持つ事、
時と場合によりますね。その判断を誤らないようにしなければ。
こんばんわ。僕は自分ができることをその都度ちゃんとやっていれば見ていてくれる人があると思います。人づきあいがうまいとか共感力とかとは無関係だと思います。ただ、スタンスとしては常に中庸の精神を心がけてはいますが。
asukaさん、こんばんは。
お互いが胸襟を開き、自分自身を堂々と見せ合うことができることが大切なのでしょうね。
あいつは何を考えているのか、さっぱり分からない、と言われるよりも、
あいつはこういう時、きっとこういう答えを出すに違いない、と言ってもらえるように、
自分の価値観を堂々と見せれるようになりたいと思います。
その方が本当の信頼を得ることができるのかもしれません。
もちろん、相手を尊重することも大切ですし、その時にこそ前頭連合野が葛藤しながらも
そうかあ、そうだね、今まで気がつかなかった、ではそうしようよ、というような展開ができるような
柔軟な思考能力も持ち合わせないといけませんよね。
こんばんは.
「一貫して自分自身に正直でいること」は難しいですね.
私は自分なりの価値観がありながらも,協調するために貫き通せないことがあります.
また,その価値観を独りよがりで貫くのではなく,
他者とも共有できるようにならなければ駄目だと感じています.
非難の声が上がっても,相手にも理解してもらえるような
言動,行動ができるようになりたいと思っています.
そのためにはもっと挑戦する心が必要ですね.