弥勒菩薩
一昨日、北海道の姉が治療を拒否して突然大阪を訪ねてきました。その姉にとって妹である大阪の姉の告別式に体調を崩したことで駆けつけることができなかったことも理由のひとつです。そして、自身の身体のことを考えると、ゆっくり床に伏している場合ではなく、残された人生を充実して生きたいという思いが強くなっての行動だったようです。本人でなければ本当の気持ちは理解できないことなのかもしれませんが、姉のこれまでの生き様をみていると分かるような気がします。残された人生をどう生きるか,個人の価値観に基づき、何よりも尊重されるべきことだと思います。
昨日はお休みをいただいて、大阪の姉のお参りを済ませた後、聖徳太子ゆかりの京都太秦・広隆寺に姉を案内しました。弥勒菩薩の前に佇んで心を洗うために、です。私は心が痛み、悩み、苦しいとき、弥勒菩薩の前に跪いてそのお顔を拝んでいると、心が穏やかになり、癒されていく自分がいることに気づいたことがあります。姉にもその感覚を持ってもらえればと思ったのです。
残念ながら写真撮影は禁止でしたので、インターネットで見ていただければありがたいですが、弥勒菩薩の奥深い笑みは全てを包んでくれますし、明日からの生き方を示してくれているようです。医療従事者である私たちに、そして、中でもリーダーとして皆を引っ張っていかなければならない人たちに知って欲しいと思う弥勒菩薩の微笑みなのです。
雪虫が飛び交い、石蕗の黄色い花にモンキチョウが舞う広隆寺の紅葉はとても綺麗でした。
コメント (9)
kabeさん、おはようございます。
今日は日曜日。早朝から和歌山に向かっています。
昨日、一昨日は札幌。明後日は熊本。今週末はまた札幌です。
飛び回っていて大変そうですが、私にはそういう自覚はありません。
旅を趣味にしていますから、最近ではむしろこのめまぐるしさを楽しんでいるようです。
私は自分なりの人生の目標を持っています。そして、今の行動はその目標に直結しています。
楽しくない出来事も多々ありますが、だから楽しいのかもしれません。
死を意識したとき、それまで時の限界(1日24時間とか、原稿の締め切りとかではなく)を
考えたこともなかったのに、あと1年かもしれない、いや突然くるかもしれないと思ったとき、
私は活き活きとはなれないように思います。あくまでも私の性格から考えて、です。
きっと私はしたいことを必死でやる、という行動をとるとは思いますが、冷静な自分はいないように思います。そのときの私の生は活き活きとはしていないかもしれません。
今を一所懸命に生きる以外に生きている実感はないと、最近思う今日この頃です。
死を意識することで、生が活き活きとするのでしょうか。自分は毎日を大切に生きられているでしょうか。
先生にはブログのお言葉からいつもpushして頂いていますから.
ありがとうございます.
asukaさんはどこまでもpushしてくれますね。
ありがとうございます。
人はみんな弱い部分を持っていると思います。
だからこそ、人との繋がりを持とうとするのだと思いますし、
繋がりをもつことで強くなろうとするのだと感じます。
自分を弱いと感じているからこそ、
他の人の弱みをみたとき、真剣に答えようとするのですね。
もしかしたら、そういう人が医療者に向いているのかもしれませんね。
asukaさん、そんなにおっしゃっていただいてありがとうございます。
実際はどうしようもないくらい弱い人間なのですよ。
人間って、自分の事だけを考えて行動しようとすると弱いですが、
人のためだったらどこまでも強くなれるように感じます。
いつも患者様のために真剣に考え、行動されている先生は今のままで十分ですね。
弥勒菩薩の微笑みも自我に向けてではなく、他者へ向けてだからこそ、
あのような奥深い微笑みになるのでしょうか。
asukaさん、こんばんは。
いつもコメントいただき、ありがとうございます。
今をどう生きるか、それを真剣に考え行動していく。
私にそいうことができるでしょうか・・。
人間って、弱いようで強いのかもしれませんが。
おはようございます。
残された人生をどう生きるか。
例えば余命を宣告された方はもちろんのこと、
そうでない方ももしかしたら今日脳卒中になったり、
不慮の事故にあったりして
残された人生が突然短くなることもあると思います。
そう感じると全ての人がもっと“今”を大切に生きる必要がありますね。
余命を宣告された方から学ぶ事も多いように感じます。
リーダーが弥勒菩薩の様な微笑みを知るためには、
当人も含め、すべての人、物、事に対してプラスにとらえることが大切なのかもしれませんね。