傘
今日は千葉に出かけてきました。関東は久しぶりの雨でした。
八重洲ブックセンターに閉店間際に飛び込んで、目的の本と合わせて30000円ほど衝動買いしてしまいました。Amazonを利用することも多いのですが、今日中に読みたい本でしたから、千葉の帰りに立ち寄ったのです。軽く夕食を済ませてからチケットを買い、新幹線のぞみの発車1分前に飛び乗り、忘れ物の代表と言われる傘をちゃんと持っていることを確認安堵して、さて、買ってきた本を読みましょうかと手元を見ると、なんとブックセンターの紙袋がありません。あっ、チケット売り場だ、とドアが閉まる直前に飛び降りて・・・。ああ、なんと情けない。
私はよくやるのです。買った物を売り場に忘れて帰ることを。今回は買ったチケットと20年以上も使っている愛傘は忘れなかったのですが、最も高価な本をチケット売り場に忘れてしまいました。結局、次ののぞみで帰ることになってしまいました。トホホ、です。
ところで、傘は聖徳太子の祖父欽明天皇の時代に渡来したのだそうです。つまり、仏教伝来のころですね。結構歴史があるのにびっくりしました。世界中で最も傘が手に入りやすく、且つ、雨の時によく傘を差すのは日本人だということをご存じですか? ロンドンの紳士と傘というよりも、外国の方々にはむしろ日本人と傘というイメージが強いのです。
写真の傘に注目してください。この状況の設定で後ろのドアが開き、電車の外からこの傘を奪っていこうとした青年がいたのです。一瞬、その青年の忘れ物かと思うような奪い方でした。その瞬間、ドアが閉まって難を逃れたこの紳士。居眠りをしていて何があったのだろうとキョトンとしていらっしゃいました。
そういうとんでもない行為を脳のどのようなシステムがさせるのでしょうか。それともシステム障害でしょうか。まったく信じがたい光景でした。
コメント (4)
中井さん、おはようございます。
真夜中にコメントをいただき、ありがとうございます。
常識を疑い、良識を信じる。
なるほど。
良い意味で常識を疑い良識を信じたいものですね。
aisakuさん、お久しぶりです。
私の前頭連合野はどうも同時課題をうまく処理できないのかもしれませんね。脳ドックに行ってみましょうか・・・。
100%予期せぬ出来事が起きると、私たちの脳はどう対応したらいいかわからないようで、脳はフリーズしたり、大混乱してしまいます。患者さんたちはその処理過程に課題を持つとき、私たちの無配慮な介入によって相当な混乱を生じていると思います。いかに前頭連合野を冷静な処理ができる状態に保つか、扁桃体がその気になるにはどのようなアプローチが好ましいのか、脳のシステムをイメージしながら患者さんたちの「個」と向き合ってみたいと思います。
aisakuさんがおっしゃるように、私たちの存在が患者さんたちの学習の「障害物」にならないようにしないといけません。
ついでの折にでもぜひ千里にお越しください。
1月からいろいろなハプニングに遭遇されていますね。
先生もお忙しいので、ついついなんてことがあるんですね。
なんだかほほえましく感じます。
先週末は大阪の某大学の指導者会議に行ってきました。そのときに梅田駅で千里方面という地下鉄の看板を見て、病院に伺いたかったと思ってしましました。
それにしても最近の若い人たちは小さいころから善悪の区別を考えずに、自己の利益を追求していった結果、社会性が失われる方向に脳内のネットワークが置き換わってしまったんでしょうね。(幼少期のシステム構築の時期に何かしらアクシデントがあったのかもしれませんね)紳士の方の扁桃体も働く前に脳内のシステム処理がパンクするくらい衝撃的な光景だったんでしょうね。
先生の今日のブログを読んで、私たちの臨床において正しく脳の可塑性をうまく支援できないと、患者さまのネットワーク再構築を阻害して回復を妨げることを思いなおしました。
傘を盗もうとした青年のネットワークみたいな再構築を起こさないためにも、明日からの臨床を丁寧にしていこうと思いました。