石巻
5月12日の夜、私なりに活動している東日本大震災の復興支援の一環として、宮城県石巻市でセミナーを開催してきました。会場は日赤病院。脳の機能解剖学的な解説とリハビリテーションのあり方について、地域の皆さんの業務がほぼ終わった午後6時過ぎから9時までの時間帯を使ってお話しさせていただきました。
セラピスト、看護師、義肢装具士など150名余の参加があり、とても賑やかな会になりました。人口16万都市だと伺いましたが、これほど多くの方々にお越しいただけるとは、私自身、この上ない喜びでした。12時近くまで開かれた懇親会でも、熱く熱く迫ってきていただいた皆様の眼差しは忘れません。
セミナーはかなり早足で進めましたから、受講された方々には申し訳なかったのですが、この出会いをひとつのきっかけとして、じっくりと交流できる次の機会にぜひつなげていければと思います。
この度は大変お世話になりました。
セミナー会場に伺う前に、津波による被災地を訪ねてきました。これまでも北は青森県八戸市をはじめ、岩手県宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田などの三陸海岸の町、宮城県の塩釜や名取、福島市、会津若松などを訪ねてきましたが、それぞれの町で状況は違いました。ただ、それぞれの町で自分自身の無力さを感じたことだけは同じでした。
当時、石巻市街地であった門脇地区に「がんばろう!石巻」と書いた大きい看板が復興のシンボルとして設けてありました。被災した黒澤さんが中心になってご自宅兼店舗の跡地にお作りになったのだそうです。現在、「がんばろう!石巻の会」を設立して活動されています。
そこでとても素敵な方に会いました。上西勇さんとおっしゃいます。阪神淡路大震災の中心地・神戸市東灘区の方で、なんと87歳です。ネットに紹介することを快くお許しいただきました。この写真をご覧になって、そのような年齢に見えますか?
自転車で被災地をまわっていらっしゃるそうで、この日も松島からいらしたそうです。下腿の太さは私のを凌ぐほどでした。
「人間、いくつになっても学ばないといけない。このような悲惨な経験から多くを学び、そして行動していくことです。」
上西さんのこの活動を知って、皆さんも当然、強い刺激を受けますよね。
コメント (6)
Keiさん、こんばんは。ほんと、お久しぶりですね。お元気ですか?
実は私の実家も私が生まれる前に鉄砲水に流されてしまったそうです。
また、実家の近くでも水害にあって大変な状態になった地域がありました。
早く復興してほしいと願うばかりですし、ご自身が被災者でありながら、
現にその地域で頑張っている仲間たちがいますし、
私なりにできることでお手伝いしているだけです。
また、ときどきコメントをお寄せください。
吉尾先生こんにちは。ご無沙汰しております。
先生が石巻にいらしていたとは。マニアの僕としたことが不覚にもチェックしていませんでした。
実は僕も震災当時、石巻の病院に勤務していました。3年経った今でも、被災地を忘れず、講演に来てくださる先生の行動もすばらしいと思います。
チャーコさん、こんばんは。
岩手県のお友達、心配ですね。
上西さん、凄いでしょう。インターネットで「上西勇、神戸」で調べてみてください。
素晴らしい活動をなさっていますから。
チャーコさん、私たちも負けてはおれませんよ。
こんにちは。吉尾先生、87歳の上西さん、被災地を自転車で回るなんて凄いですよね。岩手県には私の友達みたいな方もいますが、今も連絡取れていません。私もまだまだ若いので仕事しようと思います。
maimaiさん、こんにちは。
私と比較されてもちょっと複雑な心境ではありますが、でも、やはりお若いです。
インターネットで上西さんの活動を調べてみました。全国の慰霊碑を1000か所以上回っていらっしゃるそうです。もちろん自転車で。
上西さんご自身も被災者で、あの大震災で95歳のお父様を亡くされたそうです。
もちろん、元々積極的な方だったろうと思いますが、あの震災経験でさらに突き動かされたのでしょうね。
旅をしていますと、このように素晴らしい出会いがあり、生き方に影響を受けることがあります。
やらねば、ですね。
おはようございます
87才!!!!!!
見えません!
さすがに先生よりは目上の方にうかがえますが。とてもパワーのある方ですね。
人の世話になっておかしくないお年で、人・・・ではなく日本のため、ですよね。そのために活動されているなんて。
学ぶこと。
まだまだ若い私たちがもっともっと学ぶべきですね。
いつも記載させていただいている気がしますが…、やはり、がんばらねば、です!