謙虚

出勤時、駐車場に向かって歩いていると甘―い香りが・・。 キンモクセイです。

開花する前はもっと淡い黄色ですが、キンモクセイの蕾を見た人は意外と少ないのではないでしょうか。何故か、ですか? キンモクセイの開花に気づくのはあの甘い香りがあるからでしょう? 目立つ花ではないですから。花言葉も「謙虚」「謙遜」「真実」なのです。
開花前のキンモクセイの蕾の1つ1つはとても小さくて目立つことはありません。開花前でも近づいてみるとほのかな香りはありますが、開花するとその香りは多くの人々を引きつけます。そして秋本番を宣言してくれるのです。この花言葉、納得ですね。
ところで、キンモクセイがあるということは・・・? そうです。モクセイがあるのです。雰囲気は同じで、白い花が咲きます。キンモクセイほど香りは周囲に漂いませんから、人々の目に触れることはほとんどないと思います。それに庭木に植える木を考えるとき、より季節感を味わえるものを、特徴的な何かで人を引きつけるものを選択することが多いでしょうから、そもそもモクセイは落選するのです。いや、候補にさえ上がらないと思います。
日本三名温泉・有馬温泉に行ったことはありますか? カルシウムを含んだ含塩鉄泉が代表的な温泉です。泉源から湧出したときはほとんど透明ですが、浴槽の中で鉄がどんどん酸化してお湯が茶色になっていくのです。無色透明のラジウム温泉もあります。その色の違いから、それらは金泉、銀泉と呼ばれています。モクセイの話から急に温泉の話になって変ですが、もしかしたらギンモクセイもあるのでは、と思い始めましたか?
本来の和名はモクセイですが、俗にギンモクセイとも呼ばれています。呼ばれていると言っても、目に留められたことがない、ちょっとかわいそうなギンモクセイです。有馬温泉に銀泉があることをほとんどの人たちが知らないのと同じですね。
謙虚であることはひとつの「美」であろうと思います。しかし、謙虚である中でも、主張すべきことは「責任」を持って主張しなければなりません。あの香りがあるからこそ人々はキンモクセイを認識しますし、その存在を歓迎します。責任を持つということは、他者のことばに依らず、自身のことばである、ということです。自分自身のことばにするために必死で努力することです。主張するということは、他者を相容れないということではありません。
先日、名古屋工業大学の佐野明人教授が千里リハビリテーション病院にいらっしゃいました。TBS系列で放送された「夢の扉」に登場されましたから、ご存じの方も多いと思います。歩行支援器「ACSIVE」を紹介していただきました。佐野先生の生き様、研究への取り組み、その原点である人間に対する思い。正に謙虚な存在であると思いました。

コメント (10)

  • senri より:

    箕面のNさん、おはようございます。このところとんとご無沙汰でしたから、何かあったのかと案じておりました。
    再会できてとても嬉しいです。
    特に箕面のNさんのコメントを拝見すると背筋がピーンと伸びますから、私自身、期待しているのです。
    何かを解明していく努力を重ねることはとても大切なことです。そのための底辺の知識も必要です。
    そして、常識に疑問を持ち、そこに挑戦していくことの楽しさを味わってほしいものですね。

  • senri より:

    スーさん、おはようございます。お久しぶりです。
    その患者さんのことば、思いですね。しっかり受け止めなければならないと思います。
    当院の中でも、各地で行うセミナーの中でも、そのことについてお伝えしているつもりです。
    が、しかし、そのことばに対応するように向き合っていこうとする専門家がいる反面、生涯にわたって学び、考えていくことは嫌いですと言いながらこの世界に鎮座する人たちも数多くいます。
    現場で一見一生懸命に見えても、見えるところで真面目でも、その背景がなければ見透かされてしまいます。
    何のための存在か、しかと考えて行動したいものですね。
    またいらしてください。

  • 箕面のN より:

    お久しぶりです。謙虚。つい横柄になってしまいがちな自分を戒める言葉です。つい最近、ノーベル物理学賞の発表がありました。日本人として誇れると同時にPTの研究のうすっペラさに何とかならないのかと思います。すぐ結果を出しやすい安易なものにテーマを置いているからでしょうね。今までの常識を覆す研究に取り組んでもらいたいと思います。時間かかるでしょうけど・・・

  • スー より:

    ご無沙汰しております。

    秋になるとほのかな香りは気付けましたが、どこから匂ってくるのか認識したのはずいぶん後のことでした。

    花言葉は「謙虚」…素敵な言葉ですね。

    先日入院中の方から、我々に対して厳しいお言葉を頂きました。
    「君たちの仕事には生産性がない」

    なぜこのようなことを仰られたのか、よく考えてみました。
    我々は患者さんを悪くしようと思うものは一人もいないはずです…
    ですが明確で分かりやすい結果をその方に示していなかったのだと気付きました。

    どんなに一生懸命でも、どんなにまじめにやってもそれを結果としてわかりやすい方法で示さなければ納得しない方もおられます。

    曖昧な動作観察に頼っているこの世界の現状をその方に見透かされていたようです。
    この方の言葉を謙虚に受け取っていかなければなりません。

    私たちの曖昧な世界を変えられるのは、私たち自身でしかないと思います。
    評価方法を含め襟を正して取り組まなければと強く思いました。

    キンモクセイが私に匂いを発していても、私がその匂いを発しているのがキンモクセイであることを認識しなければ、キンモクセイが気の毒です。
    患者さんに同じように思われないように、私たちはしっかりと「主張」もしていけるようになっていきたいです。

    最近忙しがっており、なかなか遊びに来る機会が減ってしまいましたが、気持ちを洗いにまた遊びに来ます。
    吉尾先生もお身体に十分お気をつけ下さい。

  • senri より:

    maimaiさん、おはようございます。ほんと、お久しぶりですね。
    お元気でしたか?
    私も木犀、結構好きでしたが、最近は街を歩いていても見かけなくなりましたね。
    柊木犀はたくさんあるのですが。
    HALは当院でもしばらくの期間、使わせていただきましたが、まだまだ課題は多くて、私の中ではもうしばらく待って、軽量化・簡素化されたら考えようという結論になりました。軽量化には成功されたようですから、また拝見してみたいと思っています。
    歩行をどう考えるか、学習をどう考えるか、その立ち位置によって異なった展開になるようで、それはそれでいいことだと思います。見ていく方向さえ間違わなければ、です。
    PTにはその思いが薄い人が多いなあ、と思っています。皆で気合を入れていきましょう。

  • maimai より:

    吉尾先生、お久しぶりになってしまいました。
    こんにちわ。
    私は、木犀(銀木犀)の方が好きです。先生のブログを拝見するまでは存じませんでしたが、お花を調べてみたら、よく拝見していたお花でした。人の興味は不思議ですね。気にも留めなかったのに、こうしてお話にでると、意味のあるお花に変化しますね。確かに目立たないお花ですが、じっくりみれば、ほかのお花とは違う、しっかりしたお花です。
    木犀の「犀」は、呉音では「サイ」、動物の”さい”から来ているようで、樹皮がそのさいの皮と似ていることからくるとのこと。葉も花も確かに!謙虚ながら、しっかり強い自分をもっているのですね。
    私も、金木犀のような人の前に立っていなくても、銀木犀のような自分をもち、強く芯のある人間でありたいです。
    このところ、日々の生活に追われ、PTとしての自分に向き合っておりませんでした。ただ、それを理由に逃げているだけです。PTを名乗る以上、やることはやらねばいけません。
    少し、目が覚めました!先生のブログ、私へのエールだと勝手に解釈させていただき、また上を向いてがんばってまいります。ありがとうございました!

    ところで、当院では、場所がら、HALを導入しております。重く、かっこいいけれど、装着に時間や人員を要し、設定にもある程度時間もかかります。「ACSIVE]、いいですね。HALは、電位を拾ってしまいますから、腰痛持ちの私には、たまたま拾われた臀部の電位により急激な腰部の伸展を促されたりして、怖かったです。効果の出る方も経験しましたから、より軽量で、シンプルで、使い勝手のいいものに改良されることを祈りながら、体験や意見をフィードバックしていけたらいいと思います。体験談としては、支持脚でのアシストは感触薄いですが、振り出しがラクでした。印象としては、急性期や回復期では、しっかり支持脚を作ってあげたいので、それができてからのHALなのかな…と感じています。

    では、またブログの更新、楽しみにしております。

  • senri より:

    keitaさん、こんばんは。とてもとてもお久しぶりですね。お元気でしたか?
    そうですね。科学の前でも、一個の人間としてもその存在は平等ですね。
    私たちが「常識を疑う良識をもつ」ことをしてこなかったばかりに、これまで多くの罪を重ねてきたと思っています。同じ過ちを繰り返していく中で成長や発展はありません。
    もっともっと声を大にしてこの空気を変えていかなければ、と思います。

  • keita より:

    久しぶりに書き込ませていただきます。
    先生が書かれているように、科学は謙虚で、科学者は謙虚でなければならないと思います。常に、自分の考えや現在の常識が誤っている可能性があることを考慮する必要があると思います。
    理学療法では、「妥当かどうか」ではなく、「合っていると信じ、疑わない」ということが多い気がします。工学系の研究者と話すと、理学療法研究のレベルの低さを痛感します。
    科学の前で研究者は平等ですので、謙虚さを大事にして、どんどん発信できればと思います。

  • senri より:

    ほんと、お久しぶりですね、aisakuさん。お元気ですか?
    テレビで最近の造語が紹介されていましたが、わからないことばが多かったです。
    「タクる」くらいはついていってますが。
    流行?の造語の多くは若者文化でもあるわけですから、中身も凄いのかもしれないなあ、と思うこともあります。
    実際はどうなのでしょうかね。
    私たちの専門性のことを考えたとき、他者のことばばかり用いないで、自らしっかりと考え、責任をもって対象になる人々に働きかけていきたいものです。
    コメント、ありがとうございました。

  • aisaku より:

    お久しぶりです。
    キンモクセイとギンモクセイのお話を興味深く読まさせていただきました。
    金閣寺と銀閣寺も同じかもしれませんね。
    日本人の本質はギンモクセイや銀閣寺と同じかもしれませんね。しかし、最近は金閣寺ように分かりやすく華美になっている人も多くいますが、果たして中身は??ということも。
    患者さんがキンモクセイや金閣寺のようにスポットライトを浴びれるように、しっかりと患者さんを支えられるように責任を持って関わっていきたいと思いました。

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