こだわりつつ

少し時間を作れたので、有田焼の街を訪ねてきました。
以前伺ったときは庄村健・久喜さん親子、酒井田柿右衛門さん、今泉今右衛門さんなどを訪ねるのが目的でした。今回は庄村久喜さんと今右衛門さんを訪ねました。

前回は庄村さんから人間の持つ表と裏、陽と陰などの二面性を白妙という白磁の作風から学びました。今回は私たちの生活の中にある偶然性と必然性の存在を学びました。そのような思いを作品に表現し続けるというこだわりは凄いと思います。作品が売れることを第一に考えて轆轤を回せばたくさん売れるのかもしれませんが、それは自分自身の感性ではなく、こだわりを捨てざるを得ないかもしれません。作家としてそれだけは望まないということでした。前回も書いたように、そのようなこだわりを持っているからこそ私もまた魅力を感じるのです。

十四代今泉今右衛門さんは最も若くして昨年、51歳で重要無形文化財保持者、つまり人間国宝に認定されました。江戸時代の赤絵師のお家柄であったところから、現代では生地から絵付けまでの一貫作業を行う今泉家に大転換。先代たちのご苦労も相当なものだったことでしょう。そのお家柄の中で、この若さでの認定は素晴らしいことです。薄墨墨はじき紅茶碗
今回も今右衛門さんにお相手していただいたのですが、そのお人柄に感動するばかりです。4月に東京日本橋で人間国宝認定を記念して新作中心の個展を開かれるそうですが、その準備でご多忙なところをお相手していただき、恐縮してしまいました。十四代も続きますと、守り続けなければならない今右衛門の作風があって、十四代として独自性も創造していかなければならない責任は相当な重圧なのだろうと思います。でも、十四代の感性の中からごく自然に湧き出てくるものであり、特別にひねり出すようなものではなかったとあっさりおっしゃいます。若い頃、雪を見たときの感動をそのまま墨はじき雪文として表現され、ご自身の作陶姿勢のひとつとしてこだわり続けることで磨きをかけていらっしゃいます。
十四代今右衛門さんご自身の作品の中で、強く目を引き付けられた薄墨墨はじき雪文の紅茶碗がありました。最も今右衛門さんを感じる作品のひとつだったからですが、それと同類の作品をいくつか拝見していると、そこには歴史を感じる微妙なタッチの違いがありました。こだわりつつ培っていかれる作品への微妙な関わりの違い。これは写真では分かりません。顔を近づけて、現物を見て初めて気づくことです。雪の結晶はそういうものです。

リハビリテーション医療の中で、このようなこだわりを持った生き方をどのように表現していくか、考えさせられた一日になりました。

コメント (12)

  • senri より:

    箕面のNさん、おはようございます。
    旧友はいいですね。いつまでたってもいい仲間です。だから旧友ですね。
    私はマグマほどは熱くありませんよ。適当に温もってはいますが。

  • 箕面のN  より:

    近中リハ悪友2人ともまた遊びにいこうと思っています。昨年は3人でそろわなかったですね。10年以上なかったことです。一人は仕事頑張ってますし、一人は週1日の仕事で年金暮らし。でも二人とも僕より充実していると思います。僕も充実した一日を送っていけたらなと思っています。そういう意味で吉尾さんの充実ぶりはすごいですね。どこにそんなマグマのようなエネルギーがあるのですか?少し分けてください。

  • senri より:

    箕面のNさん、おはようございます。
    お久しぶりですね。
    地道に謙虚に、対象の方々と向き合っていきたいですね。
    私たちの社会はおかしなことが多すぎます。
    これからもよろしくお願いいたします。

  • 箕面のN  より:

    お久しぶりです。個人的なことがゴタゴタしていてようやくコメントをかけるようになりました。そこで僕は理学療法をしていくうえで医療の現場でというこだわりを捨てきれませんでした。社会の中でもリハビリテーションから見捨てられているといってもいい特養のリハビリテーションにかかわっていこうと決めました。一週間に一回行けばいいほうで時間も一分でもいいのです。一人で100人機能訓練士が見れば一日当たり12点算定できるこの現状が日本のお寒い高齢者の末路なのかなあと・・・今差別といわれようが何人かを選び週2回15~20分の理学療法を提供しています。もちろん効果が上がってきています。まだまだ理学療法も捨てたものじゃないかと思う今日この頃です。

  • senri より:

    栗山さん、おはようございます。
    久しぶりに栗山スマイルを拝見して、嬉しくなりました。
    何か、基本的なことを置いてきぼりにしそうな勢いでしたね。
    そのスマイルが一番ですよ。

  • 栗山 より:

    こんばんわ。
    昨日はお忙しいところ、貴重なお時間を作って頂きありがとうございました。
    頂いたアドバイスを今後の臨床に活かしていきたいと思います。
    本当にありがとうございました。

  • senri より:

    お時間の件、了解いたしました。
    当院のスタッフの発表が栗山さんの直前に予定されています。
    それを聞いた後、栗山さんの発表も拝聴します。

  • 栗山 より:

    こんばんは。失礼ながら、突然メールを差し上げたにも関わらず、貴重なお時間をとっていただきありがとうございます。
    申し遅れましたが、今回の研究大会で、私自身の発表がございまして、その日程が2日目の10時からとなっています。それまでの時間、先生と熱くお話をさせていただきたく存じます。本当にありがとうございます。当日は、よろしくお願い申し上げます。

  • senri より:

    栗山さん、こんばんは。
    その後、お元気にお過ごしのことと思います。
    今右衛門さんや庄村さんのような独創性を発揮するのは、この世界ではなかなか難しいことですが、できるだけあるべき論は語りたいと思います。
    また、どのように筋道を立てるか、整理できたところもありますので、お伝えしたいと思います。
    限られた時間ですが、今回はじっくりと説明してみますから、ご意見をお聞かせください。
    ということで、2日目の朝、いかがですか? 9時頃、総合受付前でお待ちしています。

  • 栗山 より:

    突然のメールにて失礼いたします。昨年の8月に、三重県で3日間の講義に参加させて頂いた栗山と申します。
    明日から行われる「第25回 回復期リハビリテーション病棟協会 研究大会」の先生の教育講演に参加させて頂こうと思っています。現在、臨床において、アプローチについて悩んでいる患者様がいらっしゃいます。お忙しいところ、また、急なお願いで恐縮ですが、この研究大会中にお会いしてご相談にのっていただきたく存じますがご都合の方はいかがでしょうか。大変ご無理を申し上げますが、ご検討の程よろしくお願い申し上げます。

  • senri より:

    maimaiさん、おはようございます。お久しぶりですね。お元気ですか?
    と言うまでもなく、お元気そうなメッセージですね。
    施設の都合に合わせて患者さんに諦めてもらうか、施設を動かす人間の努力・活動によってゼロを0.1にするか。
    この差は大きいですね。その活動が1.0に届かず、0.1であってもその意味は大きいのです。
    昨夜も当院のあるSTが脳幹出血の患者さんの嚥下障害への対応について質問に来ましたが、そこでもPTとして努力すべきことを彼らに具体的に要請することが話に出ました。直接的でも間接的でもやれることはありますから、ぜひ努力してください。食は生きる原点ですから。
    maimaiさんらしいメッセージで嬉しかったです。
    そんなmaimaiさんですから、この「薄墨墨はじき雪文紅茶碗」を手に取って見ていただくべくお貸ししたいのですが、私もまだ紅茶をいただいてません・・・。

  • maimai より:

    吉尾先生、こんばんわ。
    素敵なお茶碗…お茶碗でいいのでしょうか?まさに、お茶碗ですが、ご飯茶碗に聞こえますね。
    その紅茶茶碗でお紅茶はいただきましたか?
    なんとなく、濃い目のロイヤルミルクティーが合いそうな気がします!
    レンタル希望です!

    私には、これ!といえる拘りがありません。
    でも、今年は、チャレンジしてみたいことがあります。
    少し嚥下を勉強してみようかと。
    当院には急性期・回復期・療養合わせて300数十床ありますが、なんとST1人です。厳しいものがあります。
    こなすのがやっとです。あきらめざるを得ない場合もあります。
    でも、あきらめざるを得ない患者様を目の前に、仕方ない、仕方ない…と言っている場合ではありません。
    悔しい思いを後輩にもさせてしまっています。
    難しいのが、一人で頑張っているSTに、やれることはないか、現状はどうかと聞くこと自体がストレスを与えてしまうことになってしまうこともあるようで、ここはぐっと我慢を…なんてしたくはありません!
    悔しいです。
    私もできることをやってみたいと思います。先生や皆さんのように。

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