百済来川

NEC_2044熊本の故郷の川、百済来川です。実家から100mほどの所を流れています。
ここでよく遊びました。川も山も最高の遊び場でした。潜って魚を採ったり、釣りをしたり、川原では炭を焼いたり、陶芸紛いのことをしたり・・。昼休みに隣の集落の同級生たちに果たし状なるものを渡して、小学校から帰るとすぐ、赤胴鈴の介の主題歌を歌いながら、集落同士で列をなして川の傍の高台に集まり、チャンバラごっこ。楽しかったなあ。
3年ほど前に「百済来」と題して私の田舎の中学校の跡地の写真を紹介しました。いつもコメントをいただいているasukaさんへの返事で、百済来中学校の校歌の一部を紹介しました。
「伝えてここに二千年 日羅の光 永久の島 真の道を 究めつつ・・・」
仏教が百済から日本に伝えられたのは538年と言われていますが、当時、熊本県の葦北(芦北)地方は朝鮮半島とは強い関係性があったと言われています。百済で生まれた日系の高僧日羅は聖徳太子が摂政となる少し前の人で、日本での仏教の布教や政治に貢献された百済の官人です。細かくは書きませんが、日羅は百済からの随行役人によって大阪難波で暗殺され、現大阪市北区同心の大川沿いに埋葬されます。583年の出来事です。その後、亡骸は熊本の葦北に移葬されたと言われています。日羅の父親は葦北地方と朝鮮半島南端の任那(みまな)を治めていた主だったのです。

私の田舎は1961年の町村合併までは熊本県葦北郡百済来村でした。町村合併の折に八代郡坂本村久多良木(きゅうたらぎ)になりました。太平洋戦争の傷跡がこの地名に出ているように思います。葦北にも白木という地名がありますが、新羅来ということばがイメージできます。朝鮮に因んだ漢字を直接使えなかった苦しさがあったのでしょうか。
1995年、平成の大合併により、坂本村久多良木は八代市坂本町百済来(くたらぎ)上・下となり、地域の人たちは百済来という地名を復活させたのです。
私の実家から500mの所に樹齢千年の大杉がありました。そしてすぐ横には百済来地蔵堂があります。正に百済僧日羅が移葬された場所です。

物事には因果関係があります。ルーツがあります。その原因を知ること、根源を知ること、ルーツを知ることはその後の行動や活動に影響を与えます。この百済来川も、地蔵堂の大杉も、百済来中学校の校歌も、今の私の心のルーツであると思っています。
今を、表面だけを見ていても分からないことがあります。技術だけを学ぼうとする人たちも多いようですが、良い姿勢だとは思いません。

コメント (35)

  • 沼田光豊 より:

    始めまして、横浜市在住の沼田と申します。5歳位まで百済来村で住み、日奈久温泉に引っ越しました。祖父は百木馨で校長だったそうです。伯父は百済来村の村長をしていた久保田さんです。私も川で泳ぎました、元気な内に百済来へ行きたいと思います。

  • まーさん より:

    すみません承知しました

  • まーさん より:

    招致しました

  • senri より:

    まーさん、こんばんは。
    熊本市内ですか。今回の地震、大丈夫でしたか?
    いつか会いたいですね。
    それまでの取り敢えずの連絡先をお知らせします。
    病院のアドレスに送っていただき、吉尾宛に、と指定していただければ私に回してくれます。
    senri@senri-rehab.jp でお願いします。
    電話番号とメールアドレスが分かれば、こちらから電話とアドレスをお送りしますから。

  • まーさん より:

    今、熊本市内に住んでいます。まだ会社勤めしていますよ。何か雅春くんと直接連絡取る方法ありますかね。よければ。

  • senri より:

    まーさん、こんばんは。
    懐かしいねえ。大門瀬の眞秀くんだ!
    こういうこともあるわけですね。ブログもいいですねえ。
    よくぞ見つけていただきました。メッセージありがとうございます。
    百済来にはときどき帰ってはいるのですが、なかなか同級生に会うところまでいきません。
    眞秀くんは今はどちらに?

  • まーさん より:

    百済来中のスレをネット上で探したら、驚きのなんのって。雅春くん、大門瀬の眞秀くんですよ。わかるかな。地蔵さんの話を読んですぐわかりました。なつかしく思いました。元気そうで何よりです。

  • senri より:

    箕面のNさん、こんばんは。
    私も西淀川区に兄が住んでいますから、その界隈の状況には40年前くらいから馴染んでいます。
    箕面のNさんが幼かった頃はもっと大変だったのでしょうね。
    同窓会の件、ありがとうございます。それまで身体を労わりつつ過ごしたいと思います。

  • 箕面のN  より:

    吉尾さん、今晩は。僕が百済来川にいいなと思ったのは何もない田舎ですから。僕の育った西淀川下は高度成長の真っただ中で、自然がなく、淀川の河川敷ぐらいでした。ツバメもほとんどいなかったぐらいですから。遠くまで行って親に心配をかけたのを覚えています。その分今自然を満喫いていますが・・・。A温泉病院の同窓会着々進んでいます。あーそれと身体には十分気をつけてください。知っているPTがペースーメーカー、冠動脈のステントをやることになりました。60歳超えてるんだから少しは気をつけてくださいよ。

  • senri より:

    c.t.nさん、おはようございます。
    楽しみにしていますよ。

  • c.t.n より:

    吉尾先生 こんばんは。
    吉尾先生にそう言っていただけると嬉しく、とても心強いです。
    ありがとうございます。
    トライします。

  • senri より:

    aisakuさん、こんばんは。
    毎日、毎日、暑いですね。病棟から外に出るとちょっとしたお風呂に入っているような感じがします。
    負けずに乗り切らねば。
    この暑さにもちゃんとした原因があるわけです。
    患者さんたちの諸々の問題にも原因があるわけです。
    一方、問題だと思っているその裏には可能性も隠れているわけです。
    問題点ばかり見ていると可能性への積極的なチャレンジを怠ってしまうことになるかもしれません。
    その可能性にも根拠があればこそ積極的に迫れるわけです。
    根拠のない無謀なチャレンジは、下手をすると暴走にもなります。
    そのチャレンジを若者たちにしっかり見せていきたいと思っています。

  • aisaku より:

    ご無沙汰しております。
    物事のルーツを知ることはとても大事ですよね。
    それが地名であったり、名前で会ったり、私たちが日頃行っている理学療法であったりと。
    スーさんが書かれていることは私もしばしば感じている次第です。
    先生も書かれているように、日々の診療についてもしっかりと根拠を持って介入できるようにならないと、小手先の技術からは何も生まれないと感じてました。
    今日も職員と脳梁の障がいの方を考えてきました。日々の状況が刻々と変わっていますが、ご助言いただいたことを少しずつ取り入れ支援を続けていきたいと思います。

  • senri より:

    c.t.nさん、おはようございます。
    その誇りは大事にしたいところですね。
    博多の件ですが、ちょっと迷っている場合ではないでしょう。
    どうぞ、トライしてください。
    そのことによって、頭の中のいろんな課題が少しずつ解決していくものです。
    楽しみにしていますよ。

  • c.t.n より:

    吉尾先生 こんばんは。
    私も今まで触れ合ってきた多くの存在はとても誇りに想っています。
    地元のこともそんなに知識はありませんが、誇りに思ってます。
    それぞれにいいところは多くあり、そこから得たものは大切な存在ですよね。

    それからちょっと迷っているのですが、、、
    今度の博多での学会にもトライしてみようと思ってます。

  • mai より:

    コメントありがとうございます!!ほんとですか!!ありがとうございます(;_;)送らせていただきます!!

  • senri より:

    maiさん、こんにちは。
    先日は会場にお越しいただき、ありがとうございました。
    お悩みの件、さらにコメントをお送りすることもできるかと思いますので、千里リハビリテーション病院にmaiさんのアドレスが分かるように、メールをお送りいただけますか?
    maiさんのメールが届きましたら、病院の担当者から私に届けてもらい、返事させていただきます。

  • keita より:

    吉尾先生、おはようございます。
    地元のことが、ますます誇らしく思えます。ありがとうございました。

  • mai より:

    福岡の講演会で延髄梗塞の患者様の件で先生に質問させていただいた者です。先日はお世話になりました!!帰って教科書を開きながらCTを再度見てみましたが、私の勉強不足で赤核脊髄路に病巣があるのかはわからず、病巣は認めきれませんでした。麻痺は右ですが、立位時に右に倒れやすく、歩行時には左に倒れやすい状態でした。左の体幹骨盤周囲のコントロールも悪いのかと考え、左にも備品のKAFOをつけて立位訓練を行うと、そのときは改善あるのですが、なかなか持続しませんでした。
    私の勉強不足でなかなか患者様の力を生かせないようで、とても悔しいです、、。

  • senri より:

    keitaさん、おはようございます。
    瀬戸内海は元々波は静かですが、下松や室津のようにさらに穏やかな港がいくつかありますね。
    一方で徳山のように夜景がとてもきれいなコンビナートもあって、新幹線から、飛行機から、それぞれ見える瀬戸内の風景はとてもいいです。
    旅をしているときの私はいつも少年みたいですが、その少年が絶対と言ってよいほど見逃さないのが新幹線から見える徳山の景色です。これもご縁かもしれません。

  • keita より:

    吉尾先生、こんばんは。
    下松のことを調べて頂いて、光栄です。瀬戸内海の静かな街です。隣の徳山の港は、「海賊とよばれた男」で描かれたコンビナートが広がっています。新幹線から見事なコンビナートが見えると、地元に帰ってきたなという感じがします。
    こちらこそ、百済つながりでよろしくお願い致します。

  • senri より:

    箕面のNさん、おはようございます。
    百済来は何もないど田舎ですが、こうしてみると大切にしていかなければならないところだと思います。
    ありがとうございます。
    箕面のNさんも、いろいろ分かるといいですね。

  • 箕面のN  より:

    吉尾さん、おはようございます。百済来、いいところですね。僕も、もう少し余裕が出来たら、過去帳が寺にあるみたいなので、自分のルーツを調べようかなと思っています。Nより

  • senri より:

    keitaさん、おはようございます。お久しぶりです。
    ご出身は下松でしたか。
    社会科の先生がおっしゃっていること、私もそう思いたいですね。
    ちょっと調べてみました。大星が松に降りてきて7日間輝き続け、百済から皇子がやってくるというお告げがあったとか。その3年後、百済から琳聖太子がいらっしゃったと。日羅が亡くなって15年後のことだそうです。おもしろいお話しですね。百済との交易があったというのも、あれだけの良港ですから納得です。
    今日は嬉しいお話しをありがとうございました。
    百済つながりで、今後ともよろしくお願いいたします。

  • keita より:

    吉尾先生、こんばんは。
    私の地元は、山口県下松(くだまつ)市というところです。
    昔、星が松に降ったということで、降松から下松になったと言われていますが、もう1つ説があります。
    それば、百済の津(港)であるという百済津がなまって、「くだらつ」から「くだまつ」になったと言われています。
    中学の時に社会科の先生から教えてもらいました。
    百済つながりですね。
    地元を離れて10年以上経過しましたが、地元のことを誇りに思っています。

  • senri より:

    c.t.nさん、こんばんは。
    はい、私のルーツです。
    札幌医大の学生たちが吉尾のルーツを探れ、ということで、わざわざこの田舎を訪ねた数名がいます。
    そこまで大げさなルーツでもないですよ、なんてその時は思ったりもしましたが、
    こうして史実をまとめて田舎のことを思うと、どうしてどうして、なかなかのルーツですよね。
    人はそれぞれが触れ合ってきた土地や人々がいますし、とても大切な存在でもあると思います。
    それが人生の栄養にもなっているものと思います。

  • c.t.n より:

    吉尾先生 こんばんは。
    難しいことはわかりませんが、ここが吉尾先生の心のルーツなんですね。
    ここの自然、出会ってきたひと人と想い出。触れてきた様々なものは素晴らしいものなんだと感じました。
    先生にはとても及びませんが、私も今まで出会い触れてきた土地土地とひと人を心のルーツとして大切にし、これからも感動と成長をしていきたいと思いました。

  • senri より:

    チャーコさん、こんばんは。
    田舎は空気も水もきれいですし、人も優しいような印象がありますね。
    私の田舎は歴史を遡ってみると驚くような史実が残っていますし、
    ただ田んぼや畑、山や川がある田舎とも違う重みを感じたりします。
    もっと大切にしなければいけませんね。
    ところで、今日もとても熱い1日でしたが、お変わりなくお過ごしですか?
    くれぐれも健康第一でお願いしますね。

  • チャーコ より:

    こんにちは、吉尾先生。
    百済来、凄くいいですよね。
    私も昔、夏になると知り合いのいなかに遊びに行き、
    同じ年の方と遊んだ思い出がありますよ。
    いなかは自然でいいですよね。

  • senri より:

    asukaさん、こんにちは。
    百済来には日羅が葦北のお父様に送ったと言われる仏像があります。
    奈良の明日香村には日羅立像があります。
    私もそのような歴史に恥じないように精進したいと思います。
    asukaさんもお名前に広がりができましたね。ますますご活躍くださいますように。

  • asuka より:

    こんにちは.
    奈良県の明日香村にある橘寺には日羅立像があるそうですね.
    asukaという名に恥じない活動ができるように日々精進していきたいと思います.
    そのために大変な日が続いても患者さんの喜ぶ顔を見れば,また頑張れます.
    よい仕事に巡り会えてよかったと感じています.

  • senri より:

    スーさん、おはようございます。
    お久しぶりです。暑さに負けず、日々、お過ごしですよね?
    スーさんがおっしゃるような状況が蔓延していると私も思います。
    百済まで遡らなくてもよいかもしれませんが、そこにある意味をしっかりと受け止めながら、
    そしてまた新たにチャレンジしていく精神と実行力も大切にしてほしいと思います。
    だからこそこの世界は楽しいのに、と思います。
    アマチュアの方がもっとピュアでよいのかもしれません。

  • スー より:

    こんばんは。お久しぶりです。

    物事には根源がある。本当にその通りだと思います。
    しかし、それを知ろうとする療法士は多いのか疑問に思います。

    理学療法は何のためにあるのか…知識・技術も重要ですが…それ以上にリハビリテーション(復権)を意識している療法士はどの程度いるのでしょうか。日々悶々と臨床をしています。

    理学療法として行えることは、患者さまにとってごく一部であると感じます。しかしごく一部でも根拠を持って最大限の努力をしている理学療法士は一体どの程度いるのでしょうか。患者さまの満足度を気にせずに、「自己満足度」に浸っている療法士も多く見受けられます。

    理学療法はリハビリテーションという真の道を突き進め、他職種からもamatureと言われず(医師からはよく、「君たちの世界は学術的に未成熟だ」と言われます…)、患者さまにその限界と可能性について説明と同意を行いながらも、少しでも患者さまの役に立つサービスを提供できるよう精進するべきと感じます。

    吉尾先生やその周りに集まる志高い皆様と共有できれば幸いです。

    久しぶりのコメントで乱文失礼いたしします。

  • senri より:

    asukaさん、こんばんは。
    やはり最初に来ましたね。
    この話はasukaさん抜きでは始まりませんからね。
    そして、さすがですね。メッセージを見抜いていただきました。
    「真の道を 究めつつ・・・」
    そのために、私たちがどうあるべきか、ということです。
    いつもコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
    聖徳太子の摂政時代の前に話に出てくる歴史上の人物はそう多くはないですよね。
    その中で日羅という僧がしっかりと史実として出てくるわけですから、相当な人だったのでしょう。
    そう言えば、その頃の政治の中心は“Asuka”ですね。おや、まあ。

  • asuka より:

    こんばんは.
    「百済来」というタイトルのブログ懐かしいですね.もう3年も経過したのですか...
    あの時先生は「0はどこまで重ねても0でしかない」というコトバを紹介され,
    状況を好転させるために行動することの大切さを教えてくださいました.
    3年の間に少しは好転の方に動いていると感じます.まだこれからだとは思いますが.

    校歌は「伝えてここに二千年 日羅の光 永久の島・・・」から,
    「伝えてここに二千年 日羅の光 永久の島 真の道を 究めつつ・・・」まで
    紹介の範囲が増えましたね.
    ”真の道を究めつつ”,まさに表面だけではできないことですね.
    物事の本質をしっかり捉えられるように因果関係も考慮していきたいと思います.

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