加藤清正公墳墓
山形県庄内の鶴岡市に行ってきました。
山形県庄内地方の有志・勇士たちが企画したセミナーで、なかなか熱い空気が漂っていました。患者さんの個別性を重視しつつ、根拠のあるリハビリテーション医療を行いたいという思いで実現したセミナーです。最近は脳の中のシステムも随分わかるようになってきましたから、目の前で起こっている現象に加えて脳画像を見ることによって評価やアプローチに根拠を示せるようになってきました。これまでの旧態然とした経験則の中でまとめた知識は必ずしも妥当なものとは言いがたいことがあります。早く脱皮して、根拠をもって新しい世界を構築しなければなりません。
鶴岡市櫛引地区に丸岡城址が、そのすぐ傍に天澤寺があります。多くの人たちには理解できないことかもしれませんが、熊本城主であった加藤清正公の墳墓があります。豊臣の家臣で肥後の大名であった加藤清正は石田三成を許せなくて、1600年の関ヶ原の戦いでは徳川の東軍に加わります。その功績に対して徳川家康は肥後守54万石の外様大名に任命します。熊本城はこのときに築城されます。しかし、家康は豊臣家の復興を念じている加藤清正のことを信頼できなかったと言われています。1611年3月末、徳川家康は京都二条城に豊臣秀頼を呼び出し会見します。加藤清正は和歌山藩主浅野幸長と協力して秀頼を護衛し、会見を成功させますが、その帰路の船中で加藤清正は病にかかり、3か月後、熊本城で帰らぬ人になってしまいます。50歳でした。二条城で出された饅頭に毒が・・・、という噂話も。その2年後、浅野幸長も38歳で謎の死を遂げます。1614年、方広寺鐘銘事件、大坂の陣へと動いていくのです。
清正没後、肥後守となった嫡男加藤忠廣公は1632年に徳川幕府から改易処分を受け、遠く庄内藩酒井忠勝氏預かりとなります。丸岡城址に館を設け、53歳で亡くなるまで過ごします。忠廣は母と庄内配流の機に、密かに父君清正の遺骨を丸岡に移葬したのです。五輪塔を建立していましたが、傷みが目立ってきたことから、昭和になって覆堂が建造されたのだそうです。丸岡は加藤家終焉の地なのです。
尾張で生まれ、豊臣秀吉に養育された恩義を忘れず、勇壮な武将として名を馳せ、秀吉没後、三成を許せず徳川につき、熊本では領民に愛され、安土城、大坂城、名古屋城、熊本城を築いた土木建築の将とも言われた加藤清正。とても濃い人生であったと思います。
このような激動の生き方に感動しますが、そこには揺らぐことのない芯があったのでしょう。自分を振り返ったとき、確信をもった生き方にはまだまだ及びません。郷里熊本にこのような存在があることを活かして、もっともっと精進していかなければ。
天澤寺を訪ねたとき、加藤清正を大河ドラマの主人公に、と活動している名古屋の方々にお会いしました。私もその実現を楽しみにしています。
コメント (12)
Abeさん、こんばんは。
とても印象的な存在でしたよ。それは素晴らしいことです。
他者に影響を与えているわけですから。人間は生きていく中でそれなりの影響因子になれることを念じています。
そのひとつの場面として恋愛があったりするのでしょうね。
昨日の講義で1つでも2つでも感動することがあったら、次はご自身の魂を動かすことです。
すると、とても楽しい日々が待っていますよ。
次にお会いできる春を楽しみにしています。
夜分遅くにすみませんっ
今日は講義ありがとうございました!さっそくブログを拝見させていただきました( >< )‼︎
今日の講義では、吉尾先生のお話がすごく楽しくて聴き入ってしまい、思わず口が開いてしまいました。。
知らなかったことも教えていただき、とても勉強になりました!
質問にいい返答できなくてすみませんでした
また機会があれば是非講義を受けさせていただきたいです!
本当にありがとうございました
c.t.nさん、おはようございます。
そうですね。それが私自身のように思います。
だからこそ思うのでしょうね。吉尾は「今が旬」です。
吉尾先生 こんばんは。
先生は疑問を持って確かめながら信じていくタイプですか。そして多くが誤りだった、、
私もそうかもしれませんしそう気づかされました。過ぎた月日は取り戻せないんです。
でも吉尾先生は、臨床家としての研究的記録をちゃんと残してます。そしてその過程で解剖の世界に入った。そこに何かあるはずという直感と疑問、それを信じながら確かめることは「科学+人間学+実践学」であり、これらの過程で今の吉尾先生が在るのではないでしょうか。
私は素晴らしいと思っています。
熊本城は訪れたことはありますが、再度訪れるとまた違った熊本城を感じられそうです。
某・大学生さん、おはようございます。
昨日は大雪山系旭岳で初冠雪だったそうですね。平年よりも遅いようですが、いよいよその季節がやってきます。
健康に注意してお過ごしください。
根拠をもって理由づけすることはとても大切なことですが、同時に実証することも大切です。
リハビリテーション医療は「科学+人間学+実践学」だと私は考えています。
大いにご活躍ください。
asukaさん、おはようございます。
そうですね。動かなければ。
居酒屋さんのお手洗いの壁に貼ってありました。「動き出せ 夢の中に ある魂」
テレビを見ていましたら、ある100歳の女性のメッセージが。「人生は舞台。役柄に徹しよう。」
なんと素晴らしいメッセージでしょう。
c.t.nさん、おはようございます。
最初から信じて確かめにいくというよりも、私は疑問を持って確かめながら信じていくタイプです。
若い頃は何も分からず他者が言うことを信じていたことがいくつかありましたが、多くは誤りでした。
故に自分でどういうことか確かめにいった。それが解剖の世界だったわけです。
c.t.nさんは熊本城にドライブできる地域にいらっしゃいますから、ぜひ、訪ねてみてください。
吉尾先生こんにちは、
加藤清正は、秀吉と同じ出身地で生まれ、母親の仲介を受けて知り合ったとされています。
その時に福島正則とともに秀吉の元で活躍されたといわれています(賤ヶ岳七本槍など)
また日記の通り築城の名手で藤堂高虎とともに当時でも有名でした。
福島正則は内政のほうではからっきしだったとか、、、
彼の素晴らしいところは、芯がしっかりしていて、行動に一貫性あり、吉尾先生のおっしゃったとおり確信をもって動けていたところですね。
僕も根拠をもって理由付けをした治療(Reasoning)を将来やっていきたいです。
ご返答ありがとうございます。充実した日々を過ごしています。
私はこのブログや先生の講演などから多くの気づき、学びを得て、
ありがたいと感じています。
大河ドラマ実現のため名古屋の方が動いているのは地元と関係あることだから、
自分たちが動かなければ実現しないという責任感のようなものからきているのでしょうか。
とすると、リハビリテーション医療発展のためには、
それに従事する私たちが自ら動かなければ実現しないですね。
具現化せねば!
吉尾先生 こんばんは。
加藤清正公、詳しくは存じあげませんが確信を持った生き方をされた、その様なお方なのですね。
吉尾先生も確信を持った生き方をされていると私は感じてます。根拠を追求し確かめ実証されています。
信じながら確かめるのか、確かめながら信じるのか。その過程は違う様で似ていて、それは共に確信なんだと私はそう思ってます。そしてその中で確心を得て人は前に進むのではないのでしょうか。
お墓の前に集うことは私自身は少ないのですが、お墓の前で感じることは数多くあるのですね。
asukaさん、こんばんは。お久しぶりです。
お元気でしたか?
私はまだまだ。ゆらゆら~~、なんてこともありそうな人間ですが、気持ちの上では貫きたいと思っています。
こうしてasukaさんたちからブログにコメントをいただくことで私の魂はくすぐられていくのです。
ありがたいことです。
NHKに頑張ってもらいたいですね。
こんにちは。
加藤清正は名古屋で生まれ、名古屋城を築城し、名古屋在住の私にとっても大切な存在です。
その生涯の勇猛果敢な姿を少しでも見習って、
決して自己満足のために陥らないように芯をもって活動したいと思います。
揺らぐことのない芯があるところなど吉尾先生と加藤清正は似ていると感じます(^^)
大河ドラマの実現、私も楽しみにしています。