変化
千里のさくら通りです。
ちょっと大きくなった蕾も、ここ数日の寒波で少し縮んだようですが、あと2週間もすると開花することでしょう。
この景色、ちょっと変だと思いませんか?
以前紹介したさくら通りの景色と大きく変化しています。道路です。千里のさくら通りは道路が広いことをよいことに、路側帯に長時間駐停車する人が後を絶ちません。行政の見解は「故に桜の根が傷んで、成長を妨げられ、ひどいものでは枯れてしまう」ということのようです。傷んだ古木を幼木に植え替え、路側帯にオレンジ色のブロックを並べて駐停車を規制してきました。結果、景観は大きく損なわれました。しかも、ブロックの隙間に長時間駐停車する人も相変わらずいました。
今週になって、ついに写真のような工事を敢行したのです。路側帯を完全になくして、中央分離帯を広く取ったわけです。タクシーと道路幅との関係を見れば、その状況をお分かりいただけるでしょう。まさか中央分離帯に車を停める人はいませんし、取り敢えず、一歩踏み出した政策だと私は評価します。でもこれからは、バスをはじめこれまで路側帯に駐停車しなかった車も桜の根っこの上を走行することになりますから、桜の辛さはあまり変わらないかもしれません。
路側帯部分を土に戻してあげて、そこに車が進入できないようにすれば抜本的対策になるのではないでしょうか。桜は車道のアスファルトと歩道のアスファルトに挟まれて窒息状態のようにも見えます。歩道も水の通過性のよい材質に変えたらよいのにと私は思います。桜の根っこは車圧から逃れるだけではなく、水や養分も欲しいのです。もう一歩踏み込んでみたいですね。
昨日は3月11日でした。東北のその後の変化を見てみると、それぞれの自治体あるいは地域によって復興の状況は様々なようです。高台に新しい街を作って生活を始めたところもあれば、見慣れた海の景色ではなく巨大な防波堤を見て落胆する人。仮設住宅で知らない者同士で形成した人間関係を5年経って壊さなければならなくなった人たち。福島では帰宅許可は出たものの、そこに居を戻すことを考えられない人たちがたくさんいらっしゃるようです。避難先では、当初は大きな支えになってくれていた人たちとの間で精神的軋轢が目立つようになってきたとも聞きます。自分の意思とは関係なくいろいろなことが変化していく中で、自身の居場所、立ち位置、振舞いをどうしていくか、そう簡単に結論を出せるものではないでしょう。一日でも早く生涯を見通せる生活を取り戻してほしいと思います。
正に、リハビリテーションそのものです。
コメント (12)
c.t.nさん、こんばんは。
想いが目まぐるしく変わりましたね。
そのような中で、最後の一文は厳しいなあ・・・。
このような経験もあります。
先生が変わったことでメニューも変更になりました。基礎体力つくりに費やす時間が増えました。徐々に先生が練習に顔をだすこともなくなり練習試合も全くなく、大会でひとつも勝つことができませんでした。
部員の思いはいろいろでした。
一般の優勝チームで活躍されていたので、ある時そのチームと練習試合をする機会を与えていただきました。その頃は先生も一緒に練習していました。全く違う先生でした。本当のバスケ、チームプレーをみせつけられて身体で感じることができました。そこで私たちがどう変わったか。感じることはできても練習で表現することができていなかった気がします。もしくは先生にとって誠意を感じれなかったとも思います。
仲良しで自己主張はあったのですが、どこかまとまりのないチームでした。メンバーそれぞれ日誌を書いて提出していた時もありました。コメントが戻ってこないこともしばしばありました。先生が意図することや想いが当時の私たちにはわからなかったのだと思います。
いまだからこそわかることもあります。
将来を踏まえ進路を考えた時スポーツに関わりたいと思っていました。自分自身の怪我は足関節の捻挫、大会前1週間もならない時期でテーピングをしたくらいでしたが興味がありアスレチックトレーナーを目指してました。先生を求めて千葉にある大学を3回訪れましたが進学することができませんでした。悩んだときに理学療法士があることを知りました。スポーツに携わりリハビリの学校講師としても活躍されている理学療法士の人と直接お話しする機会をいただきました。理学療法士を目指したきっかけです。
専門学校へ進学しました。
幸いスポーツを得意とする先生に出会うことができました。kapandjiもよく勉強しました。楽しかったです。
学校で言われていたことは、特殊な手技はそんなに必要としない。悩んだら基本に戻ること、でした。
スポーツをみたかったのでアライメントや人の動き、動作分析を好んで行っていました。一方で理学療法の対象は幅広いことも感じてましたし、実習がスムーズだった訳でもありません。地域性も気になり関東の病院にもお世話になりました。各分野のエキスパートもいました。OTやSTの見学もさせていただきPOSの連携を感じました。急性期から維持期(慢性期)、訪問リハも経験することができました。
脳卒中に関しては評価実習で得意とする先生に出会うことができゆっくり、じっくり考えることができたと思います。しかしその頃は科学的根拠を示すものがほとんどなかった気がします。しかし今は違います。
私は「何故理学療法士を目指したか、ひとことで」と問われすぐにこたえることができませんでした。SVからの一言は「理学療法士目指すのやめたら」でした。
c.t.nさん、おはようございます。
中学校から高校にかけて、バスケットボールを通した人間「c.t.n」さんの心の成長を伺いました。
このブログのテーマは変化。チームの中で選手同士、先輩と後輩、選手と監督、また他のチームのメンバーとの関係で育っていく人間模様は、平等・不平等が交錯しながらもそのストレスが変化つまり成長の糧として存在しているように見えます。
ありがとうございました。
近くの普通校に進学しました。
そこでもできますし、練習試合をしたことがあるので顔は知っていました。春休みから練習に参加させていただきました。実際、一緒に練習してみると力の違いを感じました。しかしコートでは同等です。ついていくのがやっとでした。特に3年生と組んだオールコート3対3、甘えもあったのでしょうか。「2人だけで動いてるみたい」そういわれました。リアリティショックでした。
光栄にも3年生の大会のメンバーに選ばれました。
試合でチャージングをとった時はよくやったと褒められました。先生からは1対1の許可がでたので状況に応じて進めました。最後の試合、始まってそう経ってない時間帯、先輩が膝から崩れ怪我をしてしまいました。先生は私を呼んでくれました。相当なプレッシャーでした。man-to-manの相手は私より身長が10cmほど高かくて技量も上で苦戦したマッチアップでした。味方のノーマークができるように、など自分ができることを考え一生懸命でした。自身の目標はこの人から1本決めることでした。決まった時はおもわず小さいガッツポーズをしてしまいました。貴重な体験をさせていただきました。
マネージャーが両者に声をかけてくれました。その時は落ち着くのですが、また同じことがおこるのです。
同じポジションで練習してきた私からみたら、1人だけの問題でもないように感じることは多くありました。当時は気は長くはなかったのですが抑えてました。でも、なぜひとりにだけ責めるのかわからず聞きました。「その人だけせめてるように感じるけど、その人は出来るように頑張ってるし大分良くなってきてるよ。どうしたらいいのか、ちょっとしてみて(みんなの前で)。そしたら私が一緒に練習するから、同じ5番として。」
続く、、、
みんなで地区優勝、上位にあがることができました。
私は他校のキャプテン等とも交流ができ話す機会も増えましたし、親睦会にも招待をいただきました。親睦試合は地区TOP3の学校から選ばれた選手で行われ、有意義な時間を過ごしました。私以外は小学校からの経験者で、進路も県内BEST4に入る強豪だったのを覚えています。地区優勝チームのメンバーのほとんどは進路先が立ち上げということで、そのキャプテンと監督から直接お声かけがありました。全国出場までに発展したチームです。
進学で悩んでいるときに、もうひとつの学校からもお声かけくださいました。何度か練習試合したことのある学校の監督が直接出向いくれました。同校の選手とお話しを聞けました。そのころ私は、憧れている人がいて同じ学校に進みたいと思ってました。けれど、いろいろなこともありそこは難しかったのです。悩みました。
中学時代は両親が部活動を支えてくれました。相談しました。
好きなバスケの強いチームでバスケできるのはいいと思う。バスケで食べていけるのか、そう思うならオファーされた高校に進んでいい。でもそうじゃなければ考えて学校を選んだ方がいいよ。
はじめに。私が「人間とは」「人間らしさとは」と聞かれた場合、そう簡単には答えれません。
私は小学生時代にクラブ活動をしていました。まだこどもなので、いじめみたいなことは多少ありました。その頃はターゲットが決められローテーションされていました。私のときは練習時に同級生がいないというものでした。今日もひとりかな、と思いながら向かっていました。上級生と一緒に練習をすることが多かったです。先生ともパス練習をしたことがあるのですが、回転や重さが違いました。この頃から上級生と仲良くさせてもらい、接することが多くなったと思います。
一方で敬語の使い方がわからない私自身のことばの壁もありました。
小学時代に引き続き中学・高校とも心強い存在でしたし新たな上級生とも一緒に部活動に励むことができました。スムーズにきたようですがいろいろとありました。中1の頃シュートフォームの注意を受けました。理由はまだ一年生だからです。その後、先生からは逆の注意を受けました。小学校から家でも練習していたフォームでした。しかし3点は確率がいいツーハンドでした。スターティングメンバーとして2年生の試合に出場させていただいてたのもあり、2年生と過ごすことが多かったです。朝練にも行くようになりました。同級生とは隙間ができてしまいました。そう感じました。たくさんいた同級生も自分たちの時代ではマネージャー2名、選手6名に激減。キャプテンを任されました。心配した親が訪ねたら、先生は「周りがついてきてくれるから大丈夫」と仰ってくださったようです。上級生がいるときはよく先生に1on1をお願いしていました。自分たち時代では男子と練習や試合をするようになり、高校生ともよく練習試合をさせていただいたことは大きな経験でした。気づけば周りは成長していました。
6名が7名になったときは嬉しかったです。初心者でしたが追いつくように一生懸命に取り組んでいました。コート内での私のポジションはいろいろでしたが、ポジションでの練習では一緒でしたのでその成長は直に感じていました。穏やかな優しい人でした。そういう人や目下の人に対してまるで自分が先生であるかの様に一方的に指図する人もいました。私もそういう時期もありましたからその気持ちもわからなくはないのですが、方向が違うなと感じることはありました。同じ学校の部員同士だけではない大会や試合の出場経験が少ないのでそうなってしまうこともあるのだろうと思います。
私はその状況を黙ってみてたこともありました。
c.t.nさん、こんばんは。コメント、ありがとうございます。
いろいろ思い悩んでいらっしゃいますね。
私はあまり深く思い悩むことができない人間で、それに関する脳のネットワークは極めてシンプルなようです。
だからc.t.nさんの思いに着いていくことがとても大変な自分がいます。
というより、きっと、その対象者やその状況が直接見えないからなのでしょうね。
ブログを開けては閉じ、開けては閉じ、という状況でした。ごめんなさい。
人間とは・・・。難しいですね。リハビリテーションを進めていく上では「生活を営む社会的動物である」として関わっていますが、人間は千差万別ですからねえ。c.t.nさんの答えはどのように??
吉尾先生 こんばんは。
こちらでは緩やかに癒えない存在への想いがあふれてきているようです。
一人走りしないように、、、と様々にその想いが交わっています。
その中で、この役は私でしょう、と地域包括の知識を広める為の役を立候補した方がいます。他に立候補もいませんでしたし、反対する人もいなかったのでその方に決まりました。私が最近その方から任されることが多くあるのです。このブログにも記載させていただいている内容でもありますが、EBMも大切ですがNBMも考えていかなければならないことを学会に参加していく中で学びました。それらを活かせるようにという配慮からだとも思いますが、私が最近その方から任されることの多くは超高齢者の人の活動についてです。特に、脳卒中の急性期において可塑性を最大に引き出しどう活動に繋げるか。核心を感じるものがあります。私にとって辛いことですが、それは簡単だと仰るのです。色々な学会や研修会に参加し発表してきたのですが、その方の私の成果に対する評価がとても空く感じられます。
精進しなければ社会に出せる顔がありません。
いろいろと変化していく中で私の吉尾先生に対するfirst impressionは変わりません。
人間らしさ、一緒に考え取り戻していければと思います。
吉尾先生 こんばんは。
吉尾先生の原点は「人間」と聞きました。
先生のおもう人間とはなんですか?
私より多く理学療法を経験し生きている中で、人間らしさということをどう感じていますか?
吉尾先生 こんばんは。
27年度も末で落ち着きのない日々だと思いますが、お元気でしょうか。
3月11日、5年前のことは日本だけでなく地球にいる人間に多くを刻んでいきましたね。
当時、様々な情報が行き交っていく中で、特に現地へ向かった人のrealな事情は心の奥深くに響きました。実際に体験された人はとてつもなく浸透するものがあったでしょうし、今でも癒えない存在があるとも思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
最近の変化といえば、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士が人間らしさとは何か?を考えながら取り組んでいるようすです。
PTとして高次脳機能障害に関して苦手だったりしますが、学術大会に参加した作業療法士や言語聴覚士に助けられています。食べたくないと言っていた人に口にひよこを運び「やきいもが食べたい!」といわせたOTは腕がたくましくなってきました。ことばがでてくるように、ことばだけでなく飲み込みに関しても対象者へプリントアウトしたものを渡す言語聴覚士としての自己研磨にはドギモが感じられま
す。PTとしてOTとしてSTとしてこの世界に生きていくことが辛くなった時もよくありました。しかし生を受け、いかされて今があります。評価尺度や成果尺度を見直し、その経過と変化を発信できるよう取り組んでいきたいと思います。
それから先日、お送りした事情に関しては失礼いたしました。
チャーコさん、こんばんは。
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。
瀬川の桜、私も見たことがあります。とてもきれいですね。
他にもきれいなところが箕面にはたくさんありますね。
東北のお友達、心配ですね。
皆さん、それぞれで生活が大変なのでしょうね。
こんにちは、吉尾先生。
千里の桜、本当にきれいですよね。
瀬川の桜も綺麗ですよ。まるで桜のトンネルみたいに。
3月11日、東北大地震でしたね。
私の長年連絡してきた友達が東北にいますが、いまだに連絡とれてなくて、
どこにいるのかわからないままです。元気であってほしいです。
あの日の記憶、まだ残っています。