「ゼロはどこまで重ねてもゼロでしかない」

私は中学校時代、野球部に入っていました。ある日、隣町の中学校と交流戦を行ったのですが、惜しくも1-0で負けてしまいました。緊迫したいい試合のようにも見えますが、監督にこっぴどく怒られてしまいました。「試合に負けたことを怒っているのではない。おまえ達にはなにがなんでもホームに帰ってくるという気迫がない。1-0を何点差だと思ってるんだ?1-0は無限の差があるんだ。」と。0はどこまで重ねても0でしかない、と監督は言ったのです。その説教は主将の私にはかなり応えました。
相手チームの主将はエースで4番、柏原純一。ご存じの方も多いと思いますが、彼はその後、南海ホークス、日本ハムファイターズ、阪神タイガースで主軸打者として活躍しました。特に、日本ハムファイターズでは4番打者として1981年に大沢監督をリーグ優勝に導く働きをみせ、プレーオフのMVPに選ばれました。
 その後の彼の活躍を見るたびに私は中学時代のその試合を思い出していました。まさか中学時代の野球の試合が、私の人生に大きく影響してくるとは思いもよりませんでした。
 思ったらとにかく口に出してみる、やってみる、まずは動いてみる。動かなかったら何も生まれはしないし、考えていないことと同じこと。
 千里リハビリテーション病院の構造とシステムは正に破天荒なものかもしれません。私たちはこれまでのリハビリテーション病院のあり方に疑問をもっていました。その疑問を日頃から橋本理事長と語り合っていたのですが、理事長も思ったらとにかく動いてみる人のようです。動いている中でしっかりと見えてくるものがあることを私は感じています。

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