あってはならないこと
最近、私自身が火の車で、なかなかブログに向かうことができなくなっています。しかし、病院のことでいくつかご指摘いただいていることがありますので、少し触れておきたいと思います。
医療に携わる者にとって、あるいは職業人にとってあってはならないことが目に付くということは、やはりあってはならないことなのです。どの職種であってもあってはならないことなのです。それはどのようなことか、言うまでもなく、あってはならないことなのです。個々人で考えてみる必要があります。難しい話ではありません。しかし、プロ集団ですから厳しい話です。
先日、仙台に伺い、脳卒中の患者さんをよく担当している方たちと食事をしながら遅くまで語り合いました。真剣に患者さんに迫っている阿部さん(右から3人目)たちの態度はあるべき姿だと思います。倫理的にも専門的にも、あるべき姿を求めなければならないのです。
コメント (3)
コメントのご返答ありがとうございます。
我々リハビリのゴールをどこに置くのかという事が重要だと感じます。
特に脳卒中の患者様の場合、そのゴール達成までの過程段階として、身体面の課題を多いに考え、治療することは大切だと思います。しかし、それがそのままゴールとなってよいかと考えると疑問が残ります。
同じような身体症状でも、田舎で農業を営みながら一人暮らしされているような老人と家族と同居し、悠々趣味の詩吟を謳歌している人ではゴールが同じだとは思えません。
このような事を考えるたびにもっと自分の視野を広げなければと感じます。
asukaさん、おはようございます。早朝からコメントありがとうございます。
「あってはならないこと」ではとても抽象的な表現をしましたが、「汲み取って欲しい」と思いながら書きました。
早速このようなコメントをいただき、ホッとしました。
当院のスタッフも結構このブログに目を通してくれているようですから、汲み取ってもらいたいのですが。
身体面の課題も膨大ですが、若い集団の理学療法士や作業療法士にとって心理社会的指向性を持つことはなかなか難しいことです。客観的指標をあまり持ち合わせていなくて、それこそ独りよがりの関わりをしてしまうことも多いようです。基準や尺度が自分自身になってしまうのです。人それぞれですから。
写真に写る人たちはみなさん生き生きとされていますね。食事会の楽しさが伺えました。
あってはならないことは、あってはならないですよね(笑)
先日次のような質問に出会いました。ある文献を読んでいて書かれていました。
『あなたは日々の臨床実践で「どのような理学療法をすればいいのいか?」と「何のために理学療法をするのか?」のどちらを考えることが多いですか?』
この質問に対して、次の答えが書かれていました。
『前者のような身体的志向のみでは,患者側の視点を欠きPTの独りよがりになってしまう危険性がある。常に後者のような心理社会的志向をもち「何のために理学療法をするの か?」という目的を忘れないで意識してほしい。』
私も日々の臨床で患者様の身体面、心理社会面からも迫って参りたいと感じました。