完成度

2010ミニトマト

トマトを2つ積み重ねているわけではありませんよ。いわゆる双子のミニトマトです。たまたまイエローミニトマト2つがくっついてしまったもので、その間にあるヘタがいかにも首に緑の蝶ネクタイでもしているかのように見えますよね。ときどき双子のミニトマトができますが、ここまでの完成度はなかなか。

自宅でもミニトマトを栽培しています。最近では甘いフルーツトマトが人気で、赤い「あいこ」という細長い品種が美味しくていいですね。木なりの完熟トマトを洗わずにそのまま口に放り込むのです。気候や畑の場所、土壌などによってその味は異なりますが、このようなトマトを作り出した人たちの努力は相当なものでしょうね。何年も何年もかけて品種の完成度を上げていく。そこには偶然という産物もあるのでしょうが、夢を現実にしていくための方程式を組み立てながら年月を重ねていくわけです。

ところで、私たちにはリハビリテーション医療の専門家としての方程式は果たしてあるのでしょうか? ただバタバタと動き回っているだけのようにみえませんか?

コメント (10)

  • senri より:

    TOさん、ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
    ご自身のお名前をお書きいただいていましたが、念のためイニシャルに変更して公開させていただきました。
    普通であること、普通でいればその素晴らしさに気づくことも難しいですね。
    毎日闘い、葛藤していらっしゃる皆さんの姿を拝見していて、その強さを感じます。
    今では聞こえないことが強みだ、とはなかなか言えることではないでしょう。
    今日は勇気を与えてくださってありがとうございます。
    これからの人生をしっかり楽しんでください。

  • TO より:

    初めてご連絡致します。
    兵庫県西宮市在住のTOと申します。
    吉尾様の記事を拝見し、色々考えさせられる部分がありコメントさせて頂きました。
    従事者ではありませんので、現場の事が分からないのですが、
    介護の仕事をしている知人などの話を聞くと、大変な仕事なんだと感じます(想像しかできませんが。。)

    私も聴神経腫瘍という病気を持っておりまして、社会人になってから体調が思わしくなく、
    「腫瘍が原因」と言われ続けてきました。
    約一年前に主治医を変更し、初診の時に「甲状腺が腫れている」とお気づきになり、
    検査の結果、重度の亢進症でした。
    治療を始めて一年になりますが、体重も10キロ増え、体調もよくなってきました。

    私も経験してきましたが、心と体がバラバラという状態は本当に辛いものですね。
    リハビリに励んでいる方の気持ち、少しは分かるつもりです(思い込みかもしれませんが)。
    「これがしたい、頑張ってみたい。」と心が思っていても、体が言うことをきかない。
    心も体も一つの自分なのに、バラバラなんです。
    私にもそういう期間が5年程続きました。

    今は、心に体がついてくるようになり、本職の合間を縫って夢に向かって頑張っている所です。
    当たり前の人には大げさに聞こえるかもしれませんが、
    普通って幸せなことですよね。
    普通に耳が聞こえて、目が見えて。普通に歩くことが出来て、走ることが出来る。
    幸せなことだと思います。
    けれども、それが幸せだと気付ける機会は少ないですね。
    私も難聴になっていなければ、普通に聞こえることは特別なことではなく、普通のことのままだったと思います。
    今では聞こえないことが強みですけどね。

    長文になってしまい申し訳ありませんでした。
    お仕事頑張って下さい!!
    私も負けないほど頑張ります!!

  • senri より:

    MTさん、こんにちは。
    ご質問ありがとうございます。
    先のセミナーでは十分伝わっていないことがあるようですね。
    装具に関するセミナーはいくつか行っていますが、参加されたことはありますか?
    できましたら、メールレベルではなく、セミナーにいらっしゃいませんか?
    お尋ねの回答、このブログコメント欄ではちょっとボリュームがありすぎます。
    なお、私のアドレスは30000-my@www.senri-rehab.jpです。ご利用ください。

  • MT より:

    吉尾先生へ
    宝塚のTと申します。吉尾先生との御連絡方法は貴院ホームページでできるという事を教えてもらいました。失礼かとは思いましたが、御連絡させていただきました。先日宝塚にて長下肢装具+ゲイトソリューションでの理学療法についての御講演をKのかたからいただきました。その際、貴院での装具への試みを教えて頂き、大変勉強になりました。恐縮ではございますが、長下肢装具について1点ご質問を受けて頂けますでしょうか。貴院では装具の処方は2・3日で決定し、処方装具の半数は長下肢装具とお聞きしました。基本膝の安定性の有無で短下肢および長下肢装具を分別するとお聞きしましたが、その他年齢等で装具処方内容を選択されているのでしょうか?お手数をおかけしまして申し訳ありません。宜しくお願い致します。

  • senri より:

    macさんはとても真摯な方だと思いました。
    目の前の患者さんにしっかりと向き合っていらっしゃる。
    勝手に「想像」していますけど、そのような方からいただくメッセージは重いです。
    たとえ文章が軽く見えても、重く響きます。
    これからもメッセージをいただけると嬉しいです。
    秋の夜長、楽しくお過ごしください。

  • mac より:

    先生ありがとうございました.

    知識とひらめきに,今後も磨きをかけるよう精進していきます.

    先生の「ほんわか」としたブログに,急に重い雰囲気を持ち込み申し訳ありません.

    今後ともよろしくお願いいたします.

  • senri より:

    macさん、こんばんは。
    素晴らしいコメントをありがとうございました。
    このようにしっかりまとめていただきますと、私の頭の中も整理できて助かります。
    今後ともよろしくお願いいたします。
    アインシュタインのことばは私も好きです。大事にしていることばのひとつです。
    私たちはややもすると「知識」が邪魔をして大いなる想像力を抹殺してしまう傾向があるようです。その知識が確たる普遍的なものであればいいのですが、そうではない知識に影響されてしまうことになると、救いようのない世界が広がります。
    近年、理学療法士の活動をみていますと、とても消極的な様子を感じます。もっと積極的にチャレンジしていけばいいのに、と思いますが、守りに入っている姿が目につきます。
    想像して形にしてみることが大切であり、空想するだけでは前に進みません。
    そのための裏打ちは必要であり、そのためには知識も必要なのでしょう。
    その知識を得る努力もまた大切なことで、それがまた想像力につながります。
    私は「思いつき」と「ひらめき」は違うと思いますし、ひらめきを大切にしたいです。

  • 京都北部PTあらためmacでよろしくおねがいいたします より:

    よくまとまらない文章にコメントを返していただき、感謝しております。

    胸のモヤモヤが晴れて参りました。愚痴のようになってしまい申し訳ありません。

    先生のおっしゃる通り、科学としての側面はとても重要かつ必須であると思っております。
    リハの扱う「人間」がとても複雑であるが故、この無尽蔵な情報を扱うことの難しさを痛感するばかりです。

    「個別性と根拠」僕自身もいつも患者に向かうときは、この言葉を内言しています。

    複雑系である運動や脳機能、情動や感情、環境など、広く見ようと思えば無限に広がる地平線のように行き着くところが無いように感じています。
    でも、その中で今知りえる研究や臨床報告などの知識を基に、理論だった説明やアプローチが実施できなくては、プロではないんじゃないかと思っております。また、まだそれらの情報が確実ではないという謙虚さも必要だと思っています。

    先生のお話や研修会などで学ぶ知識は、あくまで「種」だと僕は思っております。
    患者様とセラピストの関係を「土」だと例えるならば、その土壌や環境、水質によって咲く花は変化してくると思います。天候をみて水をやるタイミングやビニールをかぶせたり、土の状態をみて肥料を追加したり、このトマトもそうやって、その時の状況を踏まえて介入が行われている結果だと思います。
    ハウツーでもなんでも、この両者間で生じる関係を基にしたセラピストのイマジネーションがリハの醍醐味だと思っており、これが個別性だと思います。
    僕はアインシュタインの言葉を大事にしております.「想像力は知識よりも大事だ。想像力には限界がないからだ。」

    エビデンスと一回性、この両者の共生がいかようにして成立するのか、僕はこの点をいつも悩んでいます。

    長々と申し訳ありません。

    mac

  • senri より:

    京都北部からコメントありがとうございます。
    自然科学には方程式に相当するものが存在するでしょうね。
    それがあるから再現性のある結果が導き出せるのですから。
    しかし、社会科学には方程式なるものは存在しにくいでしょう。
    たとえば、経済学者がいつも株で儲かるかというと「no」です。
    千里リハビリテーション病院のセラピストの理念は気づきの医療を進める中で
    「個別性を重視し、根拠のあるアプローチを行う」としています。
    自然科学の領域で個々のセラピストの判断が客観的であれば嬉しいのですが、
    現状は難しそうですね。もっと理路整然とした説明は必要です。
    一方で、私たちが対象とするのは個別性を持った「人間」ですから、
    方程式によらない観察力や分析力とアプローチが重要になります。
    要するに、この部分を大切に思っていらっしゃるわけですね?

  • 京都北部のPT より:

    はじめて書き込みさせていただきます.

    リハビリテーションの方程式・・・ 僕個人としてはあってほしくないです.

    最近は,エビデンスという言葉がとても重く感じられ,無しではいけないとわかってはいるのですが,

    なにか,ある一部分にだけ焦点がむけられているようで

    温かみが無いと言いますか

    一回性という,とても大きいものが否定されているような,そんな気持ちを持っています.

    ただ,僕らの行っている行為は科学である面,それを逃げることは決してしてはいけないと思っています.

    方程式があれば,スムーズに行くのか? それとも今のリハビリテーションは良くないのか?

    とても,難しい問題ですね.

    これをとく方程式はないでしょうか?

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