沈丁花
朝、病院に出かけようとして車に向かっているとき、庭の片隅の沈丁花の花に目が止まりました。顔を近づけてみるとほのかな甘い香りが漂っていました。この季節、菜の花が快活、元気いっぱいに咲き乱れますが、軒下などでこそっと咲く沈丁花は、その文字からして沈んでしまいそうな対照的存在です。でも花言葉は栄光、楽しみ、信頼、青春の喜びだそうです。うーん、どういうイメージからの発想でしょうか??でも「信頼」は私も納得、です。陽光が当たらないような場所でも、毎年毎年、春の始まりを告げてくれる沈丁花だからこそ信頼に値するものだと思います。
信頼を得るということはとても難しいことです。相手、周囲、あるいは社会が求めていることに着実に応えていくことは簡単なことではありません。それぞれの価値基準が異なりますから要望は多岐にわたります。一律に応えることなど、到底無理なことです。今の国会をみていると国民の要望が多岐にわたるというよりも、それに応える議員の価値基準がバラバラで、それをまとめ上げる指導力もなければ、有言実行する力もない。そのような世界で信頼という言葉は存在しません。
「有効な組織」であるためにどうすべきか。方針を明確に組織の構成員に伝え、矛盾を作らず運営し、構成員自らがそれに向かって積極的に活動する環境を提供する必要があると考えています。そして個別性を尊重しながら、根拠のあるリハビリテーションサービスを展開する組織でなければなりません。そこに「信頼」ということばが存在します。
病院という組織も、患者さんを中心としたリハビリテーションチームという組織においても、有効な組織として存在しているか、常に問いかけてみる必要があります。
コメント (8)
aisakuさん、その体調でフライドチキンですか?
それはちょっと凄すぎますよ。お子様と一緒に、だったら仕方ないですかね。
昨夜は浜松で9時過ぎまで講演でした。今朝、大阪に戻って、実は今は熊本からの帰りの新幹線です。スタッフの結婚式でした。
こんな生活していますが、体調はとてもいいですよ。
私は食べなければ危機的に脂肪を蓄積して、それなりに食べると脂肪が抜けていくのです。
今はベストに近い体重です。
ご心配ありがとうございます。
少しずつお腹もよく、朝フライドチキンを食べたらお腹が痛くなりました・・・
吉尾先生みたいなスレンダーの体になれるかもしれません。。。
先生は50歳代でバトンの色を決めたんですね。私は今色を選んでいるところになるんでしょうね。自分の職場や地域の理学療法士と選んだ色が間違っていないかいろいろ検証していき、自分の色を決めようと思います。
先生もお忙しいと思いますが、体調はいかがですか?
aisakuさん、おはようございます。体調は戻りましたか?
そうですね。根っこのところがボワーッと広がりすぎると、何をしているか分からなくなりますからね。
aisakuさんはまだまだこれから中心的に輝いていかなければならない方ですから、渡すべきバトンの色はゆっくり探してみたらいいですよ。私が渡すべきバトンの色を決めたのは50歳代になってからです。
昨日全国でたくさんの理学療法士の桜が咲いたようですね。
明日で就職後13回目の4月1日を迎えます。年々役割は病院~県士会と役割が変化していますが、私たち理学療法士は「患者さまの活動のきっかけ作り」ができるようにありたいと思っています。それが個人から病院の後輩へ、近隣施設のPTとバトンが引き継げればと思うようになりました。
先生の言われるとおりに、何のために存在しているかという根っこはあまり広がりすぎないほうがよいでしょうね。
私たちはもっと挿し木の仕方を覚えなくてはいけませんね、asukaさん。
沈丁花は香木の沈香のような良い匂いがあり,
丁子(クローブ)のような花をつける木という意味でつけられたそうです.
そう考えると沈んでしまいそうなことはありませんね.
また挿し木で増やすそうで,どのように増やすか計画的に行えますね.
組織が目先や個人の利益に左右されて方向性を見失わないため,
良い組織を展開していくためにも沈丁花を増やすように
目標を見据えて計画的に行いたいものですね.
aisakuさん、お久しぶりですね。まあ、大変な状況のようで、お見舞い申し上げます。
と言いつつ、とても軽いお見舞いになっていますね。失礼しました。
だって、お子様からいただいたプレゼントですから、ね?
私はPTになって39年目を迎えようとしていますが、この間、私たちの世界ではいろんなことがございました。診療報酬対策委員長を仰せつかっていた頃は特に職能団体としてのあり方について思うことが多々ありました。今は研究部会やガイドラインの仕事をしていて、真理を求めていく専門家集団としてのあり方に疑問をたくさん抱いています。
価値観は様々であっても、最終的に何のために存在しているかという思いはあまり様々でない方がよいと思うのですが。
おひさしぶりです。
子供から嘔吐下痢症というプレゼントを頂き、主食がゼリーかおじやという日々を過ごしていました。(います?)
ここ最近、連盟と協会と組織率というものを考える機会が増えてきています。本来であれば、職能団体として協会を軸として学術活動を行い、連盟としての活動で職域を守り、患者さまの生活や自分たちの生活を守っていくべきと思っています。
ですが、最近の協会の組織率の低下や連盟活動に興味を示さない人が増えていることを聞くと、理学療法士としての未来も不安になってきます。
すべてが臨床活動と結び付くわけではないのですがこのような事態が、自分の力で真実を探すという大事なことにも力を使うことができず、自己研鑽できない療法士が増えていることにもリンクしているような気がします。
患者さまに最高の支援ができる職能団体に成長できるよう、今一度襟元を正さないといけない気がしています。