福寿草
自然をたたえ、生物をいつくしむことを趣旨として制定された春分の日。仏教では宗派を問わずお墓参りに出かけます。昨年は親、兄、姉と不幸が続きましたし、お墓参りに行かなければならないのですが、今日は遠く千里から合掌することにしました。
札幌ではお墓はまだ雪の下にあって、墓地の水道も4月末まで使えないところさえあります。そのような雪国でも春の足音は確かに聞こえてきました。札幌の自宅の庭では雪の中で福寿草が咲きました。3月19日-3度。雪が舞う中で、今年最初の開花です。
自然は偉大ですね。その自然の中で生物たちは自らの義務を確実に果たしていきます。人間たちに邪魔をされながらも、必死で義務を果たそうとします。そして人間に喜びを提供してくれます。いい加減な私とは大違いです。
人間の愚かな行為によって人間も、他の動植物たちも、この1年間大変な状況でした。これからさらに何十年もその影響は続きます。そして、また同じことを繰り返そうとしています。地球は人間だけのものではありませんし、ある大国だけのものでもありません。
あの日から1年、春分の日にあたって、自身の価値観を再確認しておこうと思います。
コメント (2)
スーさん、おはようございます。お久しぶりです。
変わることへの喜びと、変わることへの不安とがあると思いますが、
住まう所を変えることも含めて、自身の考え方や立ち位置をいろいろ変えてきた私にとって、
変化することの魅力は計り知れないほどのものです。
その先に常にヒトが、人間がいます。
いい職業に就いたことに感謝しています。
吉尾先生 こんばんは。
自然は変わらず偉大な義務を果たしております。
私も自然が多い環境にいるため、その変わらぬ姿に安堵を感じます。
不安定な人間とは違いますね。
しかし、そんな不安定な人間はいち早く”変われる”存在でもあります。
物事には常に利点と欠点があると理解しているのも人間だけではないかと思います。
とりわけヒトの人生に関わる仕事をする我々は変わっていかなければなりません。
自分を省みて明日へと繋げていきたいです。