加藤清正

201108名古屋城

またまた前回から1か月も経ってしまいました。書きたいことがたくさんあるのですが、ちょっと優先順位を下げて、急ぎ処理しなければならない課題を先行させています。もうしばし、というところですが。

さて、毎年8月最終の金、土、日は三重県四日市市で日本理学療法士協会主催の講習会を開いています。今年で10回になりました。他で開催しているセミナーで何度かお見かけしているお顔も複数ありましたが、北海道から鹿児島まで、全国の熱心な参加者で盛り上がりました。解剖学的な視点から構成したこの講習会のメッセージは「原点に戻れ」ということです。基礎を大切にして、科学的根拠をもって評価治療に当たること。しかし、一方で対象者の基本的人権、社会科学的な側面をしっかり包含した取り組みを心がけることなどをお伝えしています。

私の出身は肥後熊本県。江戸時代の前は隈本という地名で、現在の熊本市内は阿蘇山からの湧水で湿地だったそうです。そこを治めた加藤清正は農民から特別な年貢を上納させることなく湿地を改良し、城を造り、地名も勇壮な熊本にして今の熊本市の基礎を造りました。土木の神様のような武将です。安土城、大阪城、そして写真の名古屋城の築城を担当したのも加藤清正です。加藤清正の基礎がしっかりしていたからこそできたこれらの名城。特に石垣の素晴らしさには目を見張るものがあります。

加藤清正は参勤交代の帰りに信州松本城に立ち寄っています。城主石川家長から2頭の馬を差し出され、好きな方を1頭持って帰るように言われたとき、「石川殿のような目利きではないので、2頭ともいただいてまいります」と返した知恵者。言うなれば見事な臨床家でもあったのです。

加藤清正は県民に「清正公(せいしょこ)様」と神様のように呼ばれています。

コメント (10)

  • senri より:

    takaraさん、こんばんは。
    出会いは大切にしたいですね。
    私も皆様からたくさん刺激を受けています。
    そういう出会いから感じたこと、学んだことを大切にしたいと思っています。
    これからもメッセージをたくさんいただければ私も嬉しいです。
    動機を活かして臨床に向かいたいですね。

  • takara より:

    はじめまして。四日市の研修でお世話になりました、秋田県在住のPTです。
    脳血管障害の症例が多い病院に勤めているにもかかわらず、
    先生のお話を聞いて「今まで、何をしていたんだろう・・・」
    と考えさせられる、充実した3日間を過ごすことができました。
    「0点はゼロ、1とゼロの差は大きい」という言葉も非常に
    心に残るフレーズでした(私も野球人ですので)。
    院内伝達講習では、先生から頂いた一語一句を多くのセラピストに
    伝えるように頑張ります!
    また機会がありましたら、ぜひ研修等に参加させて頂きます!

  • senri より:

    higasiさん、こんばんは。
    ブログへのコメントをいただき、ありがとうございました。
    このところ忙しさに負けて、ちょっとサボり気味でしたが、
    これからまたいろいろメッセージを発したいと思いますので、
    よろしくお願いいたします。
    装具にしても、日々の臨床の関わり方にしても、
    眼を被いたくなるような信じがたい場面が見受けられますね。
    社会を変えていかなければいけないと思います。
    いろいろな形でアピールしていかなければいけませんね。
    higasiさんもさらにご尽力ください。
    よろしくお願いいたします。

  • senri より:

    asukaさんは限りなく前向きですね。
    素晴らしいことだと思います。
    私もしっかり前を向いて取り組んでいきます。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  • higasi より:

    はじめまして。私は福岡で理学療法士をしているものです。
    以前、義士装具学会学術大会で先生のお話を聞かせていただいて、「こんなにもすばらしい考えを持っている人がいるんだ!」と感動させていただきました。
    私も長下肢装具を使用しての早期からの訓練を重要視しているのですが、どうしても気に入らないことがあります。それは当然のように長下肢装具のカフを握ったり、患者さんの足を蹴ったりして、振出しをしていることです。
    私は勉強会を主催させていただいているのですが、その場においても、そのようにしている人が、全員といってもいいくらいの人数です。
    このようなリハビリをどうにかするためにも、今後も先生のご活躍とご発展をお祈りいたしております。
    ぜひ、機会があれば、当勉強会でも先生のお話を聞けると幸いです。
    長々となりましたが、今後も精進させていただきます!!

  • asuka より:

    今日も夏日の名古屋からです。
    創建当時の名古屋城は五層目以外は瓦屋根で、後に銅瓦に変更されたそうです。
    理由は瓦は重く自重で傾いたと言う事と、高価な銅瓦を使うことによって権力を誇示したようです。

    瓦一つ選ぶのも様々な理由があるのですね。
    そう考えると我々の治療も好き嫌いではなく、
    適応を考えた上で治療法の選択が行われることが大切ですね。

    今日のような晴天に照らされて名古屋城の屋根が輝いているように、
    リハビリも明るい光を当てて目を輝かしながらもっと取り組みたいと思います。
    今後もよろしくお願い致します。

  • senri より:

    asukaさん、こんばんは。
    銅が酸化した青銅色だということは思っていましたが、その方が耐久性があると。
    凄いです。最初の天守閣もそのような屋根にしていたのでしょうか。
    名古屋城の緑色は青空に映えて、とてもきれいだと思います。
    緑が大好きな私には嬉しいお城です。
    いろいろ知ると、もっとやらなきゃ、と思いますね。

  • asuka より:

    名古屋城にはたまに,ではなく,一生のうち片手で足りる程です.
    遠くから眺める事は年に数回ありますが,間近でみることはほとんどございません.
    緑色の屋根が他のお城と違い,石垣とあわさってとてもきれいです.

    あの屋根は瓦ではなく,銅が変色して青銅色だというのはご存知でしたでしょうか?
    銅が酸化することで半永久的な耐久性を備えるといわれており,
    見た目だけではなく機能的にも優れているそうです.
    やはり加藤清正は神様ですね.

    名古屋城の石垣のように,
    リハビリでも土台をしっかり築き,
    仲間割れで争いが起きたとしても,
    大きな流れの変化の津波が押し寄せてこようとも,
    解剖など原点を忘れない患者様のためのリハビリを提供したいと感じました.

  • senri より:

    asukaさん、お久しぶりです。と言って、「お久しぶり」の原因は私にありますね。
    そうだ、asukaさんは名古屋でしたね。名古屋城にはたまに、ですか?
    とてもきれいなお城ですね。
    熊本の人間は加藤清正が誇りで、神様みたいに思っている人も多いのです。ただ、私は神様ではありませんから・・・。
    熊本城で呼ばれている「武者返し」という石垣の工法が名古屋城にも取り入れられていますが、そういう基礎があってこそ天守閣もそびえることができます。熊本城は明治・西南の役で失火、名古屋城は昭和の大戦で焼夷弾の命中により焼失、天守閣自らが倒れたのではありません。
    加藤清正、私には大切な存在なのです。

  • asuka より:

    おはようございます。
    仕事の面では好き嫌いせずに、優先順位をしっかりつけて取り組むのは大切なことですね。

    私は名古屋在住なのにあまり名古屋城を拝見したことがなく、
    つい先日機会があり行ってまいりました。

    先生同様に石垣の素晴らしさには目を見張りました。

    名古屋城天守閣の石垣積みは、上部で外側にそりだした扇勾配の技法が取り入れられていて、
    「清正流三日月石垣」といわれているそうです。
    この技法は、石垣を内面に湾曲させ石の重みと内側の土圧による力を分散させ、
    はらみを避けるためであり、まさに土木に関して見た目だけではなく、
    科学的根拠に基づいた立派な設計だと感じました。
    まさにその道のプロ意識が築いた賜物ですね!

    そのように私たちも臨床家として、今まで学んできた知識、技術を生かして、
    さらに発展させねばならないと感じました。

    各地で理学療法の行くべき道を指し示す先生は
    「雅春公様」とおよびしなければなりませんね!!

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