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吉尾雅春ブログ

2018/01/01 08:19

明けましておめでとうございます。
昨年はたくさんの方々のご支援をいただきながら、「実」のある仕事を進めることができました。病院では新病棟ができ、本格的な回復期リハビリテーション病棟として認定されるための実績づくりが本格化します。スタッフたちの中には彼たちの実力を向上させるに相応しく自ら努力を重ねる姿を多くみられるようになりました。PTジャーナルに論文を受理された上野君もいます。また、日本神経理学療法学会では参加型フォーラムを開催し、今後の実りある学会活動のスタートを切りました。今年の大阪での学術大会がとても楽しみです。
これらがしっかりした形になっていくためにはギアチェンジして、さらにアクセルをふかさなければなりません。それが2018年の取り組みです。
今年の札幌は写真のように降雪で新春を迎えました。この新雪に書くべき文字は「形」でしょうか。私自身はもちろんのこと、各々がそれぞれの立場で形にしていくよう、実行性を期待します。何よりも、形にしていくことを求めます。
今年も皆様のご指導、ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

モネの池

今年最後のセミナーが終わりました。今年のクリスマスセミナーは岐阜県整形徒手療法研究会。歩行と脳とを絡めた8時間のコースでした。8時間の長丁場は話す側よりも受講者が大変だろうと思いますが、2日間に分けるよりも一気にやりましょうということで、1日のセミナーになりました。結果はとても良くて、双方、満足いくようなセミナーになったと、自分自身では評価しているのですが、、、。受講者の本音はどうだったのでしょう?
それにしても、面白いですね。この岐阜県整形徒手療法研究会とは長年のお付き合いですが、基本的には脳のことが中心のセミナーになります。それもとてもマニアックで、ある肝心なポイントを突いた内容を求められます。整形徒手療法研究会なのにです。とても幅広く学習活動をなさっているのです。
翌日、「モネの池」として脚光を浴びている関市の根道神社の名もなき池に案内していただきました。小さな貯水池ですが、正にモネの睡蓮を思わせる光景が私たちの脚を止め、カメラを構えさせてくれます。神社のある高賀山の伏流水だそうです。とても神秘的な色です。
30年ほど前にパリを訪ねたとき、オランジュリー美術館に行ってきました。印象派とポスト印象派の美術館で、晩年のClaude Monetの睡蓮の大作があります。しばし佇む、というより、壁全面に広がった睡蓮の大作に圧倒されてしまいます。これほどまでに日本的な外国の画家はいないかもしれません。モネの没後90年ほどになりますが、日本人の心を虜にしています。根道神社の名もなき池をモネの池と表現して、大勢の人たちを引き寄せる魅力があります。私は彼がロンドンに滞在したときに描き続けた国会議事堂の暗いイメージも好きですが。
ここまで魅惑的に他者を引き付ける力って、何なのでしょうか。他者に共感される何らかの主張があることはとても重要なことなのだろうとは思います。私もできるだけそのように心掛けなければとは思うのですが、なかなか思うような表現ができず、モヤモヤすることがあります。まだまだ修行が足りません。

上西勇という人

2014年5月15日のブログで、石巻で偶然お会いした上西勇さんのことを紹介しました。年齢不詳とも思えるほどの若さで精力的な活動をなさっている神戸在住の方です。
先日、上西さんから3冊の本が届きました。上西さんご自身が行脚され撮影し、情報を集められておまとめになった東日本大震災に関する記録誌です。1冊は「改訂版 忘れるな 三陸沿岸大津波 惨禍を語る路傍の石碑」304ページ、他は「東日本大震災の痕と跡の記録No.1」139ページと「同No.4」157ページです。その郵便物の中にはNo.2と3がありませんでしたから、もっと多くの記録を残されていることがわかります。中を拝見すると、その場に行かなければ分からない細かな情報が満載ですし、各地域のその後の復興の状況も紹介していただいています。校歌もありました。学び舎の歌は胸に染みます。
お会いしてから3年半ですから、もしかしたら今年は卒寿ではないでしょうか・・・。素晴らしい生き方だと思います。
石巻のモニュメントの前で上西さんとお話したのはわずか4,5分です。それ以降、お会いしたことはありません。お許しをいただいてブログに紹介させていただきましたが、上西さんもその記事をはじめ、私のブログ等をときどきご覧になっていたようです。そのようなことをお書きいただいたご丁寧なお手紙が同封されていました。私も石巻の時の写真を何度も拝見していましたし、ときどき、ネット上で上西さんに関する情報にも触れていました。上西さんのことに触れるたびに背中がシャキッとする自分がいるのです。
ほんの数分の出会いがこれほどまでに影響を与えるとは、「上西勇」という人は底知れぬ力を持った人なのでしょう。

八戸のイチイ

八戸に行ってきました。
新幹線八戸駅前に立派なイチイの木があります。北海道ではおんこの木とも言いますが、イチイは昔、貴族が使っていた笏の材料に使われていたそうで、最高の位、一位の木と言われるようになったとか。
もう5,6年になるでしょうか。これまで仙台の阿部浩明氏と青森県で講習会を重ねてきました。八戸に始まり、弘前、青森市と続き、今年は10月7,8日に青森で開催しました。その折に、これまでお世話になった青森県にお返しをしましょうという提案をし、その会場として八戸をあげました。しかも、11月24日の夜にボランティアで行うという条件にしたのです。
開催の準備をお願いした成瀬淳氏には相当なご苦労をおかけしたと思います。何しろ、会場の確保、広報活動に与えられた期間はわずか1か月でしたから。
八戸西病院のご厚意で会場を提供していただき、18:30~21:00のナイトセミナーになりました。蓋を開けてみると参加者はなんと160名。内容が「脳卒中患者の姿勢制御障害と歩行」ということでしたから、多くの方々の興味を引いたのでしょう。手作り感満載の会場でしたが、とてもホットで楽しいセミナーだったと私は満足しています。ホットだったというのは、いつも5,6時間でお話しする内容を半分に短縮したわけですから、私自身が相当ヒートアップしていたということです。
それにしてもこういうこともあるんですねえ、わずか1か月なのに。新幹線で八戸にお越しいただいた方もいらっしゃいました。八戸、いや、青森の人たちのパワーに感動しました。やればできる、ということを改めて知らされました。

セミナー後、「さばの駅」というお店で懇親会が開かれました。ご覧のように鯖、さば、サバ。さすが、さばの駅。鯖の味噌漬けはなかなか乙な味でしたし、鯖の串焼きは串の類でも横綱級。素晴らしい鯖、さば、サバでした。
私なりの社会変革の取り組みのひとつでしたが、最高の八戸だったと思います。

JSNPT SIGs 2017

2017/11/05 08:15

日本神経理学学会がいよいよスタートラインに立った。そのようなイベントを11月4,5日に東京で開催しました。本学会は中枢神経障害に対する適切な理学療法を実践すべく研究、教育、臨床の質の向上を図り、同時に社会に対してメッセージを発信していく責任があります。
この領域では、専門家でさえも説明できないような意味不明な用語が数多く見られます。日本にリハビリテーション医療が導入されて以来今日まで、その是正を図らずに来てしまいました。よく分からないことこそが難しいことに挑戦していることを意味しているというような錯覚に陥っていたのだと思います。本来はSimple is Best.なのです。そして、何よりも定義のない世界に科学は存在しないのです。
その悪しき世界の根源は神経生理学的アプローチだと私は考えています。日本では、今でもその影響が根強く残っています。セラピストのハンドリングこそ全てだ、とばかり、道具や装具を使うセラピストを否定したり、脳画像を見ることを不要という主張も未だに耳にします。根拠をもって、堂々と議論しあう世界を作らなければならないと思います。その第一歩がJSNPT SIGs 2017だったのです。
大会長として、多くの議論の中からたくさんの課題をいただきました。これからギアチェンジをして、それらの課題を解決すべく、学会としての本来の活動を展開していきたいと考えています。
そして何よりも大切なこと。それは人間の幸せ、人間の生活に真正面から向き合っていくことを何よりも最前線に置きながら取り組む姿勢を忘れないことです。治療医学的側面がリハビリテーション医療の中に台頭してくると、いつの間にか人間がどこかに置き去りにされる現象がこれまでもみられ、強い指摘も受けてきました。またその傾向がみられるようになっています。学会として、しかと注目していきたいと思います。

コブシ

このところ、急に秋を感じるようになりました。
新大阪駅前のコブシの木を見ると、実が色づき、中の種が裸になっているものもチラホラ。この実を見ても、ほとんどの人はコブシだとは知らないでしょう。千昌夫の国民的な歌「北国の春」にも出てきますし、山だけではなく、公園の樹木としても街路樹としても見かける木ですから白い花は認識されていると思います。でも、実は見たことがないし、秋に実る様は想像もできないという、なんとも気の毒なコブシの木なのです。
これを機にぜひお見知りおきくださいますように。

今日は日本理学療法士協会のセミナーでちょっとひんやりした東京の多摩永山に来ています。先週末はやはりセミナーで青森、盛岡に出かけました。飛行機からは紅葉の八甲田山頂に積雪が見られました。山だけではなく、街路樹のナナカマドやハナミズキは赤く色づき、秋本番を迎えています。そのような中、私はなんと半袖のシャツに夏のジャケットという軽装で青森に出かけてしまいました。幸いにほとんど室内での活動でしたから大丈夫だったのですが、ちょっと甘くみていたようです。そのような教訓から、次の盛岡へは長袖のシャツに間着のジャケットを用意したのですが、いつもの仲間たちに加えて神奈川の山本氏の飛び入りがあり、とてもとても熱い語らいがあって、間着のジャケットは不似合いだったかもしれません。
とここまで書くと、「あれ?」と思います、よね? 実は青森と盛岡との間に半日ほど大阪に戻ったのです。

10月8日は千里リハビリテーション病院の10周年の開院記念日です。それに合わせるように新病棟が完成し、いよいよオープンすることになりました。木造2階建ての全室個室仕様の病棟です。開設のセレモニーを行うために大阪に戻ったのですが、ちょっと慌ただしい週末になりました。
新しい病棟を稼働させるために病院ではいろいろな動きがありますが、新病棟絡みのお話は追々報告させていただきます。新病棟オープンに当たり、心を新たに、コブシに力を込めて、前に進めていきたいと思います。

看板

開院して10年。やっと千里リハビリテーション病院の案内板が取り付けられました。
玄関まで行くと表札代わりの小さな案内板はあったのですが、敷地外からはこの建物が何なのか、全く分からない状態にありました。今回の案内も玄関横の表札と同じデザインでステンレス製のものです。目立ちませんから、気づかずに通り過ぎるかもしれませんが、それがまた千里リハビリテーション病院らしいところなのかもしれません。この亀のロゴも千里リハビリテーション病院という字体も佐藤可士和氏がデザインしたもので、私はとても気に入っています。
これまで案内板を出さなかった理由は2期工事との関係からです。この度、新しい病棟が完成し、もうしばらくすると稼働できるところまできました。2期の設計によっては外からの進入路が大きく変更される可能性を持っていたため、仮設でしのいでいたのです。

「看板を背負う」という表現があります。いかにも大きくて重たそうな看板に見えるのか、小さくて軽そうに見えるのか、ペンキ塗りたての看板に見えるのか、抽象的で何を描いてあるのかよく分からない看板なのか、それはいろいろでしょう。病院がどのようなメッセージを持っているかが重要で、背負われる価値のある組織でなければいけません。
背負う方は背負う方で相当な責任がありますから、最大限の努力が必要です。
できれば看板を背負えるような存在になりたいですね。

藤枝

日本がサッカーワールドカップ予選で初めてオーストラリアに勝利して、ロシアに行くことが決まりました。明らかに若手が台頭してきていることを見せつけた素晴らしい試合でした。本田ではなく、浅野、井手口でした。大げさかもしれませんが、歴史が動いた瞬間だったと言えるのではないかと思います。歴史は停滞してはいけないのだと改めて思いました。

青島氏&海野氏

珍しく休暇をもらって藤枝市に行ってきました。皆さんは藤枝がどこにあるか、ピンときますか?近くには焼津市や静岡市があります。有名なものは・・・?ピンときませんが、サッカーの日本代表の主将長谷部の出身地です。
普通、休暇をとる目的は観光地に出かけたり、外せない用事をこなすということなのでしょう。今回の目的は後者。若い理学療法士として奮闘している藤枝のお二人を支援するためです。海野真氏と青島健人氏。これまで何度も私のセミナーに出かけてきてくれているお二人ですが、得た知識を病院や地域に持ち帰っても限界があります。ならば、私が藤枝に行きますよ、ということで実現したボランティアのナイトセミナー×2です。会場費や私の宿泊費はお二人が負担してくれました。若いお二人には相当な負担だったと思いますが、このセミナーに病院の、あるいは地域の関連病院からたくさんの人たちが参加してくれて、共通認識を持った意味のある連携につながればこの上ない喜びですから、と笑顔を返してくれました。だから素直に甘えることにしました。参加費無料のセミナーに出かけてくださった皆さんは、このお二人の真心に真摯に向き合っていきたいと思われたに違いありません。
この活動は日本におけるセラピストたちの環境を変えていくに相応しいものだと思います。50年余りの歴史の中で大きな変化もなく澱んでいると言っても過言でないこの空気は変えていかなければならないのです。澱んでいては癒着を起こすだけで、何が真実かわからなくなります。これまで中心的に行われてきたアプローチは大きく見直すときが来ているのです。そのためには東京、大阪などの大都市に若手を集めてセミナーを開催するよりも、新幹線の駅さえもないこのような地域で、ベテランも含めて寺子屋を開くことが大切なのではないでしょうか。

徳川家康廟所

徳川家康が世に貢献したことの第一は戦をなくしたこと。結果、300年も徳川の時代は続きましたが、その大半は鎖国という制度下での社会でした。その後、ペリーが現れ、明治維新があり、社会は大きく動きました。今、学校に特別講義に出かけたり、各地にセミナーに出かけて聴講生に聞いてみると、ボバースのことは100%知っていますが、ハーシュバーグのことは100%知りません。なんと、上田敏という存在も知らないのです。日本のセラピストは流行りものには一見強いようですが、実は鎖国を好んで受け入れる存在なのではないかと思っています。
鎖は解かなければいけません。徳川家康の廟所がある久能山東照宮を訪ねて、そのようなことを思っていました。

ミンミンゼミ

2017/08/20 09:05

朝方、東京都江東区の図書館から汐浜運河の橋を渡って街路樹の下を歩いているとミンミンゼミが賑やかに鳴いていました。熊本出身の私にはもう少し涼しくなってからの蝉というイメージですが、確認した姿も確かにミンミンゼミでした。アブラゼミも少しだけ見かけましたが、主役はミンミンゼミです。ミンミンゼミは涼しい地域あるいは季節を好みますし、ケヤキや桜の街路樹が多い場所で、傾斜して乾燥した土に卵を産み付ける傾向があると言われています。百日紅の木にしがみついていたこの抜け殻がミンミンゼミなのか、アブラゼミなのかは分かりません。両者はほとんど同じ大きさですし。

東京は8月に入ってから今日まで毎日降雨を記録しているそうです。昨日に至っては雷、雹、暴風雨と凄い天気で、新幹線も運転を見合わせるほどの状況だったようです。私が上京した時には既に運転は再開されていましたが、けが人が出たり、車が水没したり、多摩川の花火も中止になったりしたとテレビのニュースで伝えていました。オホーツク海高気圧が強く南に張り出して冷たい空気を関東辺りまで運んでいるからではありますが、そもそもフィリピン辺りで雲の発達に伴う上昇気流が起こらないことで太平洋高気圧の影響が弱くなっていることがオホーツク海高気圧を張り出させているのだそうです。

2017/08/20 09:11

ミンミンゼミもこのような気象現象を土の中で感じ取っているのでしょう。
良くも悪くも自然界の営みは凄いと思います。そして気象予報士によるその現象の説明には妙に納得するというか、感心させられます。これまでの多くのデータと気象衛星による見える化の努力によって今があるのでしょう。その情報によってさまざまなことに影響を与えるわけですから、いい加減なものであってはいけないわけです。

患者さんの今後の人生に影響を与えるであろう脳卒中リハビリテーションの世界にあっては、その努力は相当不足していると思います。自然界のように、現象を集めれば見えてくるというものでもないのかもしれません。脳卒中の患者さんたちの場合、人の手によっていろいろ操作され過ぎて何が何かわからなくなってしまっている状況でデータを集めることになります。そうして集めたデータを解釈するのは容易なことではありません。だからと言って、触らないままのデータを集めることは倫理上許されません。
何か良い解決策をミンミンゼミに聞いてみたくなります。

八代地区特別セミナー

2017/08/12 06:59

お盆ということで故郷の八代にお墓参りに帰りました。
途中、球磨川の流れを眺めながらドライブしたのですが、2015年10月27日のブログで紹介した荒瀬ダムは完全に撤去されて、球磨川は自然の流れを取り戻していました。ダムの下流の坂本付近では流れが速く、ダムの呼称もそこから来ています。球磨川は日本三大急流のひとつ。下流域でのその勢いを見ると、ちょっと誇らしげに見えます。

今回の帰省には大きな目的がありました。8月12日に、八代地区勤務者限定で脳のシステムに関するセミナーを開催することです。八代にいる知り合いのPT木村氏とOT中村氏にセミナーの案内をお願いし、参加者を募ってもらいました。熊本労災病院のご厚意で会場をお借りすることができ、当日の会場造り、受付でも労災病院のスタッフの方々にお手伝いいただきました。私を含めてそれぞれが全くのボランティアだったのです。

皆で八代をよくしようと取り組んだ結果、参加者は123名。PT74、OT33、ST15、PO1名。八代地区のほとんどの病院、施設から、PTでは4人のうち1人が参加されたことになります。しかも他でのセミナーと異なり、中堅、ベテランの方々の参加が多く、平均7.3年の経験年数。それぞれの病院から10名~20名、病院によっては全員に近い38名のスタッフがいらしてました。熱い熱い5時間30分でした。
熊本県で第二の都市、八代地区にとって一つの転機になるセミナーであったことは間違いないと思います。写真は夜の懇親会のスナップを鋤田さんが撮ってくださったものです。

最近、いろいろなセミナーが企画されていますが、その多くが大都市で開催されています。しかも参加者の大半が経験5年までの若いセラピストです。東京で開催するときはもちろん関東圏の人たちが多いのですが、北海道、関西、四国、九州からの参加もみられます。リピーターも結構いますが、負担が大きく、大変だろうと思います。遠方からは交通費や宿泊費も嵩みますから、その努力には頭が下がります。しかし、数名の若いスタッフが何かを学んで自身の施設に反映させようとしても、組織の抵抗は強固なのです。
今回のように講師が地方に出向けばよいのです。この仕事に携わっている以上、欲求はあるはずです。講師が近くに来てくれたら行きたい、という人たちも多いでしょう。その中には中堅、ベテランもいると思います。中堅、ベテランの参加は組織の変革の可能性を意味します。

今回の八代地区特別セミナーを開催してみて、何のための活動か、その目的を達成するための効果的方法はどうあるべきか、改めて考えてみたいと思いました。